津波で全壊した宮城・閖上名物「ゆりあげ港朝市」が復活! 新たな挑戦を始めた朝市組合員の心意気とは
ゆりあげ港朝市 (以下すべて筆者撮影)

 東日本大震災の津波によって壊滅的な被害を受けた宮城県名取市閖上(ゆりあげ)。震災から2年2ヵ月が過ぎて、瓦礫の撤去は終わったものの、今も建物はまったく立っていない。そんな地域の一角、港に面した広場に、大型連休の最中、大勢の人が押し寄せた。閖上の名物だった「ゆりあげ港朝市」が元の場所で復活したのだ。初日の5月4日には1万5000人、5日には1万人、6日には7000人集まった。

 ゆりあげ港朝市は30年ほど前から続く。日曜・祝日の朝6時から10時ごろまで。震災前は5000人から8000人が毎週訪れていた。「さんま祭り」などのイベント開催時には1万人以上が集まる人気スポットだった。仙台市など周辺地域から車を飛ばしてやってくる常連客のほか、朝市を目当てにやってくる観光客、レジャー客も多かった。閖上には8000人が住んでおり、自転車で買い物に来る客もたくさんいた。町のシンボルになっていたのだ。

 そんな閖上は津波によって一変する。10メートル近い津波が押し寄せ建物は壊滅。800人の犠牲者が出た。ゆりあげ港朝市もあの日を境に広場から消え去っていた。それが2年ぶりに復活したのである。

「戻ってくるしかないという現実もあるんです」

 復活早々、これだけの人が集まったのには訳がある。実は別の場所で震災直後から「ゆりあげ港朝市」が続いていたからだ。大手スーパーのイオンが名取市にある「イオンモール名取」の駐車場を提供。閖上での復活まで伝統の灯を保つことができたのだ。

 イオンモールでの朝市復活は震災からわずか2週間後の2011年3月27日。震災後の大混乱が続く中で、周辺住民の生活物資は極端に不足していた。ゆりあげ港朝市協同組合の櫻井広行理事長が、必死になってモノ集めに駆け回り、かなりの商品を集めたが、それでもわずか1時間で売り切れた。

ゆりあげ港朝市の周辺に他の建物はまだない

 櫻井さんは震災直後は朝市復活を諦めていたという。親戚を探しに避難所にたどり着くと、そこには朝市の常連だった人たちの顔がたくさんあった、という。まったく食べるモノがない中で、朝市の仕入れ先に掛け合って支援物資を集め、避難所で配った。その延長線に3月27日の「朝市」があった。朝市を一刻も早く復活させることが、それまで世話になった人たちに報いる一番の近道だと思ったのだという。

 イオンモールでの朝市が1時間で売り切れとなると、名取市やイオンには、「次はいつやるのか」という問い合わせが殺到。組合は急きょ総会を開いて「朝市の早期復活」を決定。4月10日以降、毎週日曜日にイオンモールで朝市を続けてきた。もちろん、いつまでもイオンの好意にすがっているわけにはいかない。元の場所である閖上での復活に向けて動き出した。

 もっとも、話は簡単ではなかった。閖上の町は壊滅状態。名取市による都市計画もなかなか進まない。しかも、町を二分する貞山堀と港の間に住宅建設は認めないことになった。つまり、ゆりあげ港朝市の広場の周囲は誰も住まず、計画が決まるまではしばらく空地のままになることが決まったのだ。

 それでも元の場所に戻ることを決めたのはなぜか。櫻井さんは言う。

「すべて国に頼ろう、助けてもらおうというのは間違っている。自分たちで復活するしかない。だけど俺たちにカネはない。新しいところを借りて朝市を開く余裕がないんだ。復活のシンボルとか、綺麗ごとだばかりではないんですよ。戻ってくるしかないという現実もあるんです」

 そんな時、「天から贈り物が降ってきたかと思った」(櫻井さん)という出来事が起きる。カナダ政府がカナダ産木材を使った建物を被災地に寄付するという話が舞い込んだのだ。朝市用の建物にどうか、というのである。

 この話に櫻井さんは飛びついた。ところが、閖上浜は一切の建物再建が認められていない。名取市などとの談判を繰り返し、特例として建物建設が認められた。朝市の店舗が入る建物2棟と、「メイプル館/カナダ・東北友好記念館」と名付けられたパビリオンが建設されることになったのだ。この完成を受けて閖上での朝市が復活したわけである。

ゆりあげ港朝市。店頭に立つ櫻井広行理事長
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