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これが日本の大金持ち「トップ100人」第2部 高額所得者の栄枯盛衰に学ぶ「金持ちになるのは簡単だが金持ちであり続けるのはこんなに難しい」
【表の説明】「肩書」は、各年代の代表的なものを記した。「所得額」は、当該期間中の「高額所得者公示制度」により公示された所得額の合算、または「全国高額納税者公示制度」により公示された納税額から所得を算出して合算したもの。なお、年代によって貨幣価値が異なるため、総務省統計局発表の「消費者物価指数」(持家の帰属家賃を除く総合)を各年各氏の所得額に掛け合わせ、'11年時点での貨幣価値に換算している。'05年以降の「所得額」は有価証券報告書から持ち株数と配当金を調べ、'12年までの配当収入を合算したもの

第2部 高額所得者の栄枯盛衰に学ぶ
金持ちになるのは簡単だが金持ちであり続けるのはこんなに難しい

ひと目で富豪の歴史がわかる

 まずは上から始まる表を見てほしい。これは本誌が1951年から昨年までの「長者番付」を精査し、10年ごとに区切ったものである(高額納税者名簿が非公表となったため、2001年以降は2つに分けた)。その期間の所得額を累計し、独自にランキングをした。当時と現在では貨幣価値が大きく隔たるため、総務省統計局が発表している消費者物価指数を乗じ、'11年時点の水準にならしてある。これを見れば、戦後日本の資産家の変遷が一目瞭然だ。

 敗戦後まもなく、石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれ、日本の復興を支えた。自然、炭鉱を持つ資産家は「炭鉱王」と呼ばれ、その名前は社会に轟いた。'50年代のランキングには上田清次郎、広瀬安次、古谷博美など、中国地方から九州にかけての鉱山主が名を連ねる。

 しかし'60年代に入ると、石炭から石油へのエネルギー革命が起こり、時代に対応できなかった炭鉱王たちは長者番付から姿を消す。

 一方で新しい商品を生み出し続けるメーカーは、電気の普及によって、ますます事業を拡大し続けた。

 出色はやはり松下電器産業の創業者、松下幸之助だ。戦前に同社を立ち上げた幸之助は二股ソケットの発明で、社業を軌道に乗せた。その功績について、あらためてここで触れることはしないが、松下電器が業績を伸ばすのと並行して、幸之助の収入も伸びた。

 たとえば、'59年には2億5686万円の収入があった。現在の貨幣価値に直すと、14億1273万円。'55年から5年連続で長者番付1位を記録、'89年に亡くなるまで上位の座を保ち続けたことを考えれば、幸之助がいかに莫大な資産を築いたかがわかる。

 戦後の混乱が収まり、高度経済成長期に差し掛かると、松下幸之助と同様、戦前から続く鹿島建設の鹿島守之助やブリヂストンタイヤの石橋幹一郎などの実業家が富を築く。

 '70年代に入ると、地価の上昇とともに、長者番付には不動産業が目立つようになる。1位の長谷川萬治をはじめ、吉田俊二、松坂有祐などは不動産売買益で巨万の富を築いた。 日本はこの後、バブル期に突入、地価はさらなる上昇を続けた。'86年に米フォーブス誌の世界の長者番付6位にランキングされた麻布建物の渡辺喜太郎氏(78歳)はこう話す。

「最盛期には銀行から1000億円を超える融資を受け、港区内に165ヵ所以上の土地と建物を所有していました。さらにはハワイにもハイアット・リージェンシーをはじめ、6つの高級ホテルを持っていましたね。当時、NHKの紅白歌合戦が終わると、出場していた大物歌手たちがハワイにきて、私のホテルで正月を迎えていたものです。しかし、バブルの崩壊で不動産価格が下落。資金繰りがつかなくなり、'07年に会社更生法の適用を申請しました。負債総額は5648億円でした」

 バブル崩壊後、土地成金に代わって台頭してくるのが、サラ金やパチンコといった産業である。レイクの浜田武雄や武富士創業者の武井保雄、プロミスの神内良一が登場。その後、グレーゾーン金利が問題になるにつれ、サラ金業界は壊滅的な打撃を受けるのだが、'90年代は我が世の春を謳歌したのだった。

 そして第1部で紹介したとおり、現在、長者番付はIT系企業の創業者が数多く占める。その代表格は、ソフトウェア卸会社から世界的な通信企業へと変貌を遂げたソフトバンクの孫正義だろう。

 同様にネット企業の寵児として名を馳せた楽天の三木谷浩史は、政府の産業競争力会議の民間議員も務め、政権へのコミットメントを深くしている。

 このように、日本の富豪は目まぐるしく変化してきた。戦後40年間の長きにわたって、その地位を守ってきたのは、松下幸之助だけではないか。その幸之助に影響を受けて、起業を志した人物がいる。本誌最新版長者番付で12位に入ったアドウェイズの岡村陽久社長(33歳)だ。

「高校は2ヵ月で中退してしまったんです。面白くなかったので、自分で働いたほうが楽しいだろうと。社会に通用するのか、不安でしたが、松下幸之助さんの本を読んで『中卒でも頑張っている人がいる』と勇気づけられました。月に1~2日しか休まず、日に12時間働いて、大阪の換気扇フィルターを販売する会社では全国で2番の営業成績を上げました。給料は完全歩合制でしたから、多い時で月200万円くらいになりましたね。すべて使ってしまいましたが。

 20歳の頃、テレビでサイバーエージェントの藤田晋社長が当時史上最年少で上場するのを見て、『フィルターを売っている場合じゃない』と思ったんです。サイバーエージェントには就職できなかったので(笑)、自分で起業しましたね」

 岡村氏はアフィリエイト(ネット広告)の会社を立ち上げ、'06年、上場時の最年少記録を塗り替える(当時26歳)。これで148億円の資産を得た。

「でも、実は'07年から'10年頃まで風呂なし、トイレ共同、家賃3万円の四畳半に住んでいたんです。主なクライアントだった消費者金融業界がグレーゾーン金利問題もあって、広告出稿を控えたため、業績が悪化してしまった。それで気合を入れなおそうと思って、自分の給料を9割カットするとともに、風呂なしアパートに引っ越した。その後、事業は持ち直し、今は会社のそばのマンションに住んでいます」

 そんな岡村氏はある種独特な金銭哲学を持つ。数百万円ほどの月収は、給料日前にほとんどを使い果たしてしまうというのだ。

「あまりモノは買わないんですが、おカネは使います。社員を連れて食事をしたり、取り引き先と飲みに行ったり。最初に入った会社の先輩に『給料は全部使え。使わなきゃ稼ぐ気にならないだろう』と教えられたからです。今もその教えを守っています」

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