雑誌
2013年最新版全国長者番付を掲載する
第1部 続々登場「大金持ちの幸せと悩み」を明かします

GW合併号特別企画 これが日本の大金持ち「トップ100人」
【表の説明】'01年以降に新規上場した会社の主な株主を精査し、持ち株の多い創業者をピックアップ。上場当時の持ち株数に上場後の初値を乗じたものを「資産」として計算し、資産額の多い順にランキングをした。ただし現在、上場廃止や吸収合併されたような企業、亡くなった創業者などは除外している

 いわゆる「長者番付」が非公表となったため、私たちは富裕層の"本当の姿"を知ることができなくなった。そこで本誌が総力取材を行い、今回公表するのが最新版の全国長者番付である。新しく大金持ちの仲間入りをした人は誰か、いかにして、どれくらいの富を得たのか。当人たちが明かす、彼らの金銭哲学にも迫った。

「上場したときに入ったおカネで箱根の別荘地に500坪の土地を買い、別荘を建てました。周囲には大きな別荘が多いので、うちの別荘は小さく見えますけどね。週末にはだいたい別荘に行っています。ですから、会社が上場してプライベートで変化したのは、週末を別荘で過ごし、頻繁にゴルフをするようになったことでしょうか」

 そう話す渡部進氏(64歳)は、ネットワークバリューコンポネンツの代表取締役社長だ。ネットワーク関連製品の企画開発・販売を手がける同社は、'90年に設立され、'05年、東証マザーズに上場した。これにより約69億円もの資産を得た渡部氏は「日本の大金持ち」の一人となった。だが、ふだんの暮らしは意外に質素である。

「飲みに行くのも赤ちょうちんのようなところが多いんですよ。取引先の人とも、よくそういう店に行きます。いつも高級なお店ばかり行っている人には逆に喜ばれますね」

あのときが人生の分かれ目

 戦後まもなくの1947年から各地の税務署によって毎年発表されてきた「全国長者番付」。個人情報の保護などを理由に'04年度版を最後に公開されなくなったが、当然ながら、国税当局は各自の納税額を把握している。

 そこで本誌は昨年に続き、証券各社、信用調査会社への取材、さらに各企業の有価証券報告書など、総力を挙げて日本の新しい資産家を精査した。ここに掲載したのが、新しい「長者番付」である。

 1位に躍り出たのは、国内最大級のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を運営するミクシィの笠原健治社長だ。笠原氏を筆頭に、その肩書にはカタカナの社名がズラリと並ぶ。2位は人材派遣業、テンプスタッフの創業者である篠原欣子会長兼社長。そのほか、ランキングに登場する名前を見ていくと、比較.comやグリー、スタートトゥデイやDeNAなど、インターネット系企業がその大半を占める。

 冒頭の渡部氏もまたネットワーク関連の業態で、ランキングでは33位に登場する。その社会人人生の振り出しは、モノづくりだったという。

 団塊世代の渡部氏は、'72年に神戸大学を卒業すると、立石電機(現・オムロン)に入社した。当時の立石電機の社長は、創業者の立石一真氏だった。オムロンを一代にして大企業にした伝説的な経営者である。

「モノづくりの楽しさを実感できて本当によかったと思っています。私があまり楽しそうに仕事をしているので、立石社長から『そんなに楽しいのなら、給料はいらないんじゃないか』といったことを言われたのを覚えています」

 その立石電機に14年勤務した後、さる外資系企業から声がかかり、日本支社の責任者として迎えられた。個室に秘書付き、給料も跳ね上がったが、友人の助言もあって生活レベルを上げないように心がけていたという。自家用車はダイハツの軽自動車だった。

「これは正解でしたね。3年でこの会社は日本から撤退し、私も辞めざるをえなくなりましたから」

 このときすでに40代。今さら転職する気にはなれず、自分でビジネスを興すことにした。そして考えたのが、当時の日本では珍しかったネットワーク関連製品の販売である。

 事務所は自宅マンションの4畳半。ここにパソコンとプリンター、ファックスなどの事務機器を揃えての船出となった。

 PCは一人一台という今と違い、ネットワーク関連商品を購入するような会社は大企業ばかり。日立や住友電工といった大手から「脱サラか、頑張れよ」と応援の声をもらったのが心強かったと渡部氏は振り返る。その後も業績は順調に伸び、'05年に上場を果たした。

 しかし、巨額の資産を手にしたわりには、生活ぶりは手堅い。上場前に所有していたクルーザーも、その後売却している。

「オムロンにいた頃、立石社長のお供でパーティに出かけたことがありました。体裁を繕うため、行きはリンカーンでしたが、帰りは市電。やはり創業者はみんな最初におカネで苦労しているので、無駄なおカネは使わない。私もそうですけど」

 そんな渡部氏にとっての社会貢献は「おカネをしっかり稼ぐこと」だという。

「一生懸命に働いておカネを儲けるのはいいことで、それによって税金もたくさん払うことになるし、会社が大きくなれば、人に仕事の機会を増やすこともできます。働いて利益を出して、公正に分配する。これが起業家のミッションだと思うようになりました」

 今回のランキングに登場する資産家たちは一般に耳慣れない会社のオーナーが多い。だが、彼らが保有する資産はケタ違いだ。

 たとえば、日本を代表するメーカー、パナソニックと比べれば一目瞭然。同社の津賀一宏社長はサラリーマン社長で、役員報酬は1億円に満たない。そのうえ、今期は業績不振の責任を取って、半額を返上している。

 それを考えると、渡部氏が上場により、69億円の資産を手にしたように、株式の大半を持って上場することこそが、大金持ちへの「王道」であることは間違いない。

 渡部氏と同様、'05年に上場したアイフィスジャパンの代表取締役、大沢和春氏(63歳、36位)もまた、大手企業のサラリーマンからの転身組だ。

 大学卒業後、富士ゼロックスに入社し、海外勤務などを経験したが、仕事の満足度は低かった。

「やることはコピー機の営業ですので、面白味に欠けていました。もっと面白いことをやりたいという思いから、創業志向が芽生えていきました」(大沢氏)

 とはいえ、起業するにしても何をやるべきか、まだわかっていなかった。そこでまず転職することにし、20年近く勤めた富士ゼロックスをやめて会社を転々とする。起業のチャンスを窺っていたが、新ビジネスとして金融情報サービスに注目するようになる。

「当時、外資系証券会社は投資家に証券調査レポートを積極的に出して営業展開していましたが、日本の証券会社はまだレポートによる情報提供をあまり行っていませんでした。そこで、外資系アナリストが作成したレポートを印刷して発送することを事業化できないかと考えたわけです」

 こうして起業を決意したのが'95年。ただ、このときビジネスアイデアはつかんだものの、もうひとつ大切なものがなかった。創業資金である。

「当時、高校生と中学生の子どもがおり、資金的な余裕はありませんでした。起業に反対する女房とは、このとき真剣にやり合いましたね。そこで、おカネがなくても起業できる方法を一生懸命に考えたんです」

 それは、レポートの発注元である証券会社には料金を翌月払いにしてもらうように掛け合う一方で、こちらからの支払い先である印刷会社と配送業者には翌々月払いにするというもの。これなら資金繰りがショートすることはない。

 ワンルームマンションの一室を事務所とし、印刷会社との行き来は自転車。従業員はおらず、封筒の宛て名シールの貼りつけや封印など、すべて自分ひとりでこなした。

「やれることを地道にやるだけでした。印刷会社へ自転車を走らせながら、リヤカーで物売りをしていた昔の商売人の姿を自分に重ねていたものです」

 それからちょうど10年後、大沢氏が得た資産は約67億円に上った。といって、起業するまで二十数年間サラリーマンをしていたので、金銭感覚が狂うことはない。ただ、それまでつきまとってきたおカネの不安から解放されたと胸の内を明かす。

「上場するまでは社長である私が個人保証もしていましたから、会社が倒れたら個人破産につながります。これはオーナー社長のつらいところですが、上場すると、その不安がなくなる。家のローンが返済できたし、女房の顔色を窺ってお小遣いをもらうこともなくなりました。この2つはありがたいです。このトシになると、もっとおカネを増やそうとは思いませんけどね」

 金銭にはむしろ淡泊な大沢氏だが、ことビジネスについては貪欲だ。順調に伸びてきた事業についても、実は満足していない。

「正直、私がやってきたことは二番煎じで、私のオリジナルかというと、そうではないんです。だから、まだやめるわけにはいかない。これから残り少ない人生でオンリーワンを作りあげたいと思っています」

 富を得た起業家は、そんな欲と苦悩をのぞかせた。

 大金持ちになるために、運とともに欠かせないものがあるとしたら、それはタイミングだろう。

「上場で成功するには、業績好調で安定性があることが大切ですが、そのほかにタイミングが大きな要素になります。その意味で私の場合は恵まれていました」

 そう話すのは、パッケージソフトを手がけるエイジアの創業者、えとうあきら氏(50歳、81位)である。

 えとう氏は音響・映像機器メーカーの赤井電機の社員だった。

 赤井電機を辞め、エイジアを立ち上げたのは32歳のときだ。資本金は退職金と親から相続した2000万円だった。ちなみに、赤井電機は後に業績不振で倒産に追い込まれている。

 えとう氏はホームページの請負製作から始め、やがて事業の中心は、ネットやメールを利用した販売活動支援ソフトの開発へ。その後、開発したアプリケーションが人気シリーズとなり、売り上げも急増。こうして会社設立から10年後の'05年10月、東証マザーズへの上場を果たしている。

 上場するまでエイジアの株の大半をえとう氏が所有していたが、上場後その一部を売却。これで約2億円の現金を手にしている。

 当時、43歳で独身だった。

「そのおカネでマンションを買いました。自宅はそれまで賃貸でしたからね。証券会社の人から、上場したら自宅の住所も公開されるし、ちゃんとした持ち家に住んだほうがいいとアドバイスされて、4LDKのマンションを6000万円で買いました」

 場所は茅ヶ崎。加山雄三が経営していたパシフィックホテルの跡地に建った高級マンションを購入した。えとう氏の趣味はサーフィンで、眼前に海が広がるマンションに住むのは、かねてからの夢だった。

 夢をひとつ叶えた江藤氏は、その後、次の夢に向かって新たに始動する。エイジアを退き、ネパールのNGOに加わったのだ。このNGOはネパールで作られた服などを日本で販売し、その利益をネパールの人たちに還元する活動を行っていた。

 えとう氏は、日本とネパールを行き来し、今から3年前、新たな会社を設立した。ネパールの天然石などの輸入販売を行う「サパナ」という会社だ。

「サパナの設立には1億5000万円以上を投資しています。上場時にエイジアの株を売ったおカネを持っていましたし、エイジアを退いてから持ち株を売却して得たおカネも投資しました。サパナの売り上げは5000万円程度。まだ赤字ですが、これからです」

 莫大な富は、次なる夢につながったのだ。

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