雑誌
うらやましい限りです
日本の「幸せな会社」ベスト50
史上初の大調査一覧表付き

 多忙でも笑って働く社員がいる。胸が熱くなるような仕事に人生を懸ける社員がいる。日本は「人材」こそが唯一の資源だ。こんな会社がもっと増えれば、キラキラ輝く日本の未来が見えてくる。

「マグロ一筋」の商社マン

 三菱商事社員のAさんのとある一日は、夜も明けきらない午前5時30分から始まる。セリの声が響き渡る東京・築地市場マグロ卸売場。キャップに作業着姿の業者に混じって、マグロの販売動向をつぶさにチェックするのだ。

 水産物で世界最大級の取引規模を誇る同市場には、世界中から集められたマグロが一日あたり1000本ほども並ぶ。その一本一本に目を凝らし、産地、鮮度、大きさなどを確認していると、「マグロの最新事情」が見えてくるという。

 約1時間の目利きタイムが終わると、築地市場で新鮮な魚の朝食をガッツリ食らい、そのまま丸の内のオフィスへと向かう。スーツ姿でビシッと決めたエリートサラリーマンが集まる日本最大のオフィス街に、ほんの数時間前まで築地市場にいたという人間は、きっとAさん以外には一人もいない。

 オフィスでの仕事は、ガラリと様相が変わる。

「海外の生産者らとの商談が中心です。よりよいマグロを、より安く買い付ける交渉ですから、それは白熱した交渉ばかりです。しかも、われわれの取引相手は世界中の企業ですから、胆力勝負。ただ、交渉が合意した後は、相手先と仲良くトコトン飲む仲になれる。学生時代に明け暮れたラグビーのノーサイドとまったく同じ感覚です。この瞬間が、何度味わっても気持ちよくて」

 入社以来十数年、マグロ一筋のサラリーマン人生を歩んできた。

「初めての海外出張でマグロの加工凍結船に乗船した時は、毎日マイナス50℃以下の冷凍庫でマグロの積み下ろしをやりました。寒くてきつい作業でしたが、これで『現場』がよく分かった。

 南欧に出張した際は、シエスタ(午睡)があるので、顧客との昼食が始まるのが昼の14時で、終わるのは夜の19時になることもあるんです。しかも、また21時からの夕食に誘われたりして。とにかく食べ物を口に入れて、無理やり白ワインで流し込みましたよ」

 夜は海外の生産者や顧客と懇親会を行い、帰宅するのは日付が変わる頃になっている。

 きつくないですか、と向けるとこんな答えが返ってきた。

「マグロの消費を拡大し、世界中の消費者にマグロを安定供給し続けるという夢があるんです。だから、まったくきつくないし、やればやるほど奥が深い仕事だと気付かされます。

 これ知っていますか? マグロって、動き続けていないと窒息死してしまうから、寝ている間も遊泳し続けるんです。そういう意味で、私もマグロみたいなもの(笑)。これからもずっと、突っ走っていきたいと思います」

 この国で、サラリーマンとして生きるのが、息苦しくなってきたのはいつからだろうか。リストラの恐怖、止まらない給与カット、コマとして会社に使い捨てされる虚しさ……。

 最近ではブラック企業という造語が生まれ、サラリーマンは「社畜」と呼ばれるようになった。

 しかし、よく目を凝らしてみると、生きがいを持って、幸せに働くサラリーマンはたくさんいる。本誌はそんな人たちが働く「幸せな会社」はどこなのかを探る史上初の一大調査を行い、日本のベスト50社を選んだ。

 野村證券に勤めるBさんも、「幸せに働く」一人である。

 決して楽な仕事ではない。ノルマの厳しい営業部隊が「軍隊」と呼ばれるように、若い頃は一日100人ペースで営業に駆けずり回った。夏ともなれば、ワイシャツから背広にまで汗が染み出して、ネクタイに塩が噴いたこともある。

 飛び込み営業だから、会ってくれるのは100人に一人くらい。しかも、相手は企業の社長クラスの猛者ばかりである。いざ面会できても、「次は来なくていい」と無下にされることも少なくない。

「ただ、私と相手、一対一の勝負に醍醐味がある。『もう来るな』と言われても、食い下がるんです。若造ながら少しでも話し相手になれるように、それこそ新聞を全紙読んで勉強する。社長の趣味が歌舞伎だったら休みの日に見に行ったり、野球談義をするためにすべての試合結果を暗記したりもしました(笑)。それで毎日通っていると、世間話ができるようになる。そして、『よっしゃ、お前は気に入った。口座を開いたる』と言われた瞬間の喜びは、何物にも代えがたいものがあります」

 こんなことがあった。Bさんが勧めた株が、翌日にいきなり100円下がり、また次の日に100円下がっていく。もちろん先方は「騙したのか!」と怒り心頭だ。

 カネの切れ目は縁の切れ目—関係もこれで終わりかと思ったが……。

「先方は『やってくれたな』とカンカンだけど、私は『いまはこの株は売られすぎているから、逆に、いまこの下がった価格で買えば、損を取り戻せます』とさらに買い増すように勧めたんです。もちろん失敗する可能性もある。ただ、自分が本当に上がると信じて勧めた株だから、怒られたくらいで逃げたら、それこそ騙したことになると思ったんです。

 こうしたやり取りを毎日やっていると、最後はお客さんと損得を超えた関係になってくる。私がそのお客さんのところに異動することを伝えに行くと、『君がいたこの3年間は楽しかった。路頭に迷ったらうちで雇ってやるから、連絡しろよ』と。そんな言葉をもらえると思っていなかったんで、胸が熱くなりました」

 損得が目に見えてわかるだけに、人間関係にウソがなく、本音での付き合いになる。そこに営業マンという生き方の醍醐味があるという。

「だから、社内の人間関係も熱い。私の異動先の上司Cさんが、いままでお世話になっていた上司Dさんのライバルの人だとわかったとき、そのDさんが『異動先で俺の名前は出すなよ、色がついた人間だと思われたら損するから。俺もお前にはもう電話しないから』って言うんです。ただ、異動先の職場に行くと、Cさんが、『お前の評判の良さは聞いているよ。電話があったぞ』と言う。

 実はDさんが同期に頼んで、Cさんに僕のことを電話させていたようなんです。私なんかにそんな気配りをしてくれたと思ったら、もう頑張って成果をあげてやろうって思うでしょ。いい意味で昭和のモーレツ・サラリーマンを地で行っている。そんな汗臭い人ばかりの会社だから(笑)、私はいまでも辞めずにずっといるんだと思います」

 高度成長期を振り返れば、日本のサラリーマンは世界一よく働くといわれ、一年のうち休みは一日ということも珍しくなかった。それでも明るく元気に働けたのは、自分の仕事がどこかで社会や人のために役立っているという確かな実感があったからだろう。

 モノが溢れる時代になり、そうした仕事は少なくなってきてはいるが、いまも残っているのは確かだ。全日本空輸(ANA)の取引先会社の幹部は、ANAの社員が、こう熱っぽく語っていたのが印象に残っているという。

「うちが最初に中国路線に進出するとき、成田から大連経由の北京行きという便を飛ばしたんです。そのとき、大連に住んでいた日本人は60人ほど。周囲からは『なんで大連なんて経由するんだよ』と批判を受けたんです。

 ただ、航空の仕事というのは、それまで行けなかった場所にヒトやモノを運ぶことで、新しい街や人の動きを作り出せるところにダイナミズムがある。だから、いま大連に何万人もの日本人が住み、多くの日系企業が進出する工業都市に発展しているのを見ると、感慨深い気持ちになるんです。最近では昨年10月にミャンマーのヤンゴンに運航再開を果たしたので、これから10年かけて、日本とミャンマーの架け橋になっていくと思うと、もうワクワクしますよ」

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