『現代産業情報』発行人・石原俊介氏が死去---事件人脈を読み取る「情報」というビジネスモデルの終焉

 「最後の情報誌」といわれた『現代産業情報』は、4月14日、発行人・石原俊介氏が死去(享年71)したことにより、30有余年の歴史に幕を閉じることになった。

 『現代産業情報』は、情報の世界に生きる大企業の総務・広報、内閣情報調査室(内調)や警視庁など調査・捜査機関の情報担当者、マスコミの記者など、情報のプロに向けて発信されてきた。

 従って、発行部数も少なく、石原氏は一般には"無名"だが、情報の世界では知らぬ者のない"大物"。石原氏の強みは、暴力団、総会屋、右翼、仕手、地上げ屋、街金、興行師、仕事師などグレーゾーンに生息する人種に人脈を持ち、彼らの行動パターンと生息の範囲を把握しているところにあった。

 同和利権絡みの尾崎清光射殺事件の頃に始まり、リクルート、イトマン、東京佐川といったバブル期の経済事件から、最近の増資マフィア事件から六本木半グレ殺人事件に至るまで、常に最前線にいて、マスコミが書ききれない事件の"裏"を読者に提供、「ニッポンの闇」に迫り続けた。

事件人脈を読み取る人

 その役割は大きかった。

 高度経済成長に伴って、アングラ経済も成長した。かつての人夫出し、みかじめ料、バクチの胴元やノミ屋、興行の"仕切り"といった世界から経済界に進出、地上げ、株上げ、金融といった事業に企業舎弟を関与させ、大きく稼ぐ経済ヤクザが増えた。

 そのディープな世界に切り込むには、水先案内人が必要である。警察のような専門機関ですらそうなのだから、暴力団担当になった若手記者、社命で総会屋や企業ゴロを相手にする総務・広報担当者は、今でいう反社会的勢力(反社)に対し、どう対処していいかわからない。その"案内"を買って出たのが石原氏だった。

 創刊間もない1980年代前半は、パソコンはもちろん携帯電話すらなかった時代である。対面のなから手探りで取ってくるしかない情報には、重みがあった。

 また、「同和」や「在日」は、まだまだタブーで、取材にも執筆にも、神経を使わなくてはならなかった。総会屋、右翼、地上げ屋といった危ない連中の背後には、必ずといっていいほど暴力装置があり、そことのトラブルを避けるのにも気を使った。

「タブー」が存在、「闇」が深い時代だった。竹下登元首相への右翼のほめ殺し攻撃を押さえるために暴力団のトップが動き、その功績に報いるために東京佐川急便が、「反社」に4,000億円もの融資保証をしたという東京佐川急便事件は、その典型だろう。政官財暴の癒着の構図だった。

 そうした事件人脈を読み取る人として、あるいは解説する人として、石原氏は企業からも調査・捜査当局からもマスコミからも頼りにされた。

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