[虎四ミーティング]
太田由希奈(プロフィギュアスケーター)<後編>「“氷上のバレリーナ”と呼ばれて」

二宮: 太田さんはスケートを5歳から始められたそうですが、きっかけは何だったのでしょう?
太田: 親からのすすめもあって、はじめは兄と一緒にスイミングスクールに入ろうとしました。でも、そのスイミングスクールの受付が混んでいた。それで隣のスケート場を見に行ったら、広いリンクに4人ほどしかいなかったんです。その日は暑くて、リンクがすごく涼しかったんですよ。それで親が「プールは混んでいるし、とりあえずはスケートでいいか」と。それがスケートを始めたきっかけでした。

二宮: 習い事のひとつとして、たまたまはじめたスケートが、太田さんには合っていたんですね。
太田: そうですね。私、兄と一緒に始めたんですけど、兄は要領も良くて、頭も良かった。何でも私よりできたんです。水泳も、ボール遊びも、ゲームも……。何をしても私より秀でていたのですが、スケートだけは私の方が兄よりマスターするのが早かったんです。進級テストも私の方が順調にいったんですよ。「お兄ちゃんに初めて勝てた」と嬉しかったですね。

二宮: 元々、センスがあったのでしょうね。現役時代は、“氷上のバレリーナ”と呼ばれていました。
太田: 皆さん、そういうイメージを持ってくれていますが、子どもの頃は全然違うタイプだったんですよ。昔のビデオを見たら、元気が良すぎて、本当にやんちゃですから(笑)。

二宮: やんちゃな女の子から、“バレリーナ”の滑りへと変わったきっかけは何だったのでしょう?
太田: 小学校高学年ぐらいの時にコーチが、「もう少ししなやかな動きができるように」と、サン=サーンス作曲の組曲『動物の謝肉祭』の『白鳥』という曲を組み込んだプログラムを作ってくれたんです。その時に「白鳥だから、ダチョウみたいにならないように、バレエをしなさい」と言われたんです。それまでもバレエのレッスンは受けていましたが、特に美しさを意識はしていませんでした。でも、そのプログラムがきっかけで“キレイに動くとは、どういうことだろう”と、自分なりに考えるようになったんです。

二宮: バレエの動きを取り入れたことによって、スケーティングにもしなやかさが出てきたと。
太田: それに加えて、指導していただいていたコーチがキレイに滑る先生だったということも大きかったですね。いつも“キレイだな。先生みたいに滑れるようになりたいな”と思いながら見ていました。普段から美しい滑りを見ることができる環境にいたことも影響していたと思います。

二宮: なるほど。最高のお手本が近くにいたんですね。
太田: そうですね。先生は、私をバレエの発表会や劇団四季の舞台鑑賞などにも積極的に連れて行ってくれました。そして、小学校5年生の時には、長野オリンピックにも連れて行ってくれたんです。それまでテレビの中の人でしかなかった、ミシェル・クワンやタラ・リピンスキー(いずれも米国)といった世界のトップスケーターの滑りを、すぐ近くで見ることができました。そんなふうに、先生には刺激を与えてもらえる機会をたくさんいただきました。

二宮: スケートへの気持ちにも変化があったのでは?
太田: そこから、“やる気スイッチ”が入りましたね。「オリンピックに行く」と口に出すようになりました。もちろん、それまでも練習を頑張っていなかったわけではなかったのですが、先生に言われたことをただやっていただけだったんです。でも、その後は自分から発信していくことが増えていきましたね。それと、オリンピックに対しても逆算して考えるようになりました。「オリンピックに出るためには、シニアで代表にならなければいけない。そのためには、全日本ジュニア代表にならなくちゃいけないし、その前に全日本ノービスで優勝しなければ……。それなら今、たくさんの種類のジャンプを跳べるように頑張らなくちゃ」と。