第31回 福富太郎(その一)
ついた異名は、「キャバレー太郎」。あの高級旅館が毎年彼に魚を贈る理由

2013年05月01日(水) 福田 和也

 福富太郎さんと親しくさせていただくようになったきっかけは、永井荷風と和倉温泉の加賀屋との縁からだった、と思う。

 誰に誘われたのか、池袋の『キャバレー・ハリウッド』で、毎年荷風の忌日である四月三十日『つゆのあとさき忌』が催されるので、という事でお伺いしたのだった。

 三田の文学部にとって、永井荷風は格別な存在で―なにしろ、文学部の初代教授なのだから―当然、仏文科の教授から学生までが、荷風を崇拝しているのである。

 福富さんは、荷風はキャバレーの恩人だ、と仰った。荷風はキャバレーの原型であるカフェに頻繁に通い、『つゆのあとさき』でその風俗を活写したから。

 そうして加賀屋の話になった。

 毎年、荷風の忌日に、見事なノドグロが加賀屋からハリウッドに送られてくる、というのだ。

 それは、関根歌さんの絡みではありませんか、と福富さんに申し上げた。

 関根歌は、女出入りの激しい荷風の生涯において、もっとも荷風が愛し、また荷風に尽くした女性であった。

 改造社が発行した円本で莫大な印税を得た荷風は、待合の経営者になり、歌さんを女将にして店を差配した。

 荷風は、それぞれの座敷に、覗き穴を設け、客と女の痴態を凝視し、堪能させてくれた客には、勘定を安くしたと云う。

 歌さんは、よく仕えたけれど、荷風の奇癖が昂進すると、少し精神の平衡を欠くようになった。

 知り合いの医者に診てもらったところ、ノイローゼの徴候があるという。

 面倒事を厭うた荷風は、歌さんに手切れ金を渡して、別れた。

 けれども、結局この診断は誤診であり、歌さんは東京周辺の待合などで働いた後、つてを辿って和倉の加賀屋に赴いたのである。

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