スポーツ

斎藤も松坂も…安楽くん大丈夫か?
「投げ過ぎ甲子園球児」たちは、今後悔しているのか

2013年04月21日(日) フライデー
friday

「投げ過ぎという印象はない。日本の野球はそういうもの」

 弱冠16歳のエース・安楽智大(済美)は大会終了後、こう気丈に語った。

 浦和学院の初優勝で幕を閉じたセンバツ。この大会の主役は紛れもなく準優勝投手の安楽だった。準決勝までの4試合をすべて完投勝利。だが決勝では浦和学院の猛打を浴び、自身初の1イニング7失点を喫するなど力尽き、6回終了後に降板した。計46イニングで投じた球数は772球に上る。

 あまりに痛々しい姿に加え、試合後のコメントがファンの感動を呼んだ。

「3連投でも苦にならない体をつくって夏に戻ってきたい……」

 今度こそ優勝の瞬間までマウンドに立ち続ける―と誓った安楽だが、それははたして投手人生にとってプラスなのだろうか。安楽がドラフトで上位指名確実な素材であることは誰もが認める。高校野球の頂点を目指すのは当然だが、それと引き換えに、その後の野球人生を損なうことになりはしないか。考えてみたい。

 次ページの表は '90年以降の甲子園で一大会での総投球数が上位の投手をまとめたものだ。春夏通じて1位は斎藤佑樹の948球。田中将大を擁する駒大苫小牧との決勝戦が延長15回引き分け、さらに再試合も一人で投げ抜いたことで記録が跳ね上がった。

 その斎藤も、プロでは思うような実績を残せていない。もっと言うと、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大の3人以外にプロ野球のエースになった選手は見当たらない。その松坂も一昨年に受けた右肘手術の影響で、昨年はメジャーで1勝のみ。現在はマイナー暮らしである。やはり甲子園での「投げ過ぎ」が、その後の投手生命を脅かしているのか。

選手権で力投する大野。閉会式の行進の際には右肘が130度に曲がったまま動かず、そのまま腕を振るしかなかった

「上位の顔ぶれに共通しているのは、当時のチーム内で傑出度が高いこと。つまり2番手、3番手の投手との実力差があり過ぎました。その典型が、沖縄勢として初の優勝を目指した沖縄水産の大野倫投手です。彼の場合は、エースの座を争った同級生が県大会の直前に急性腎孟炎で入院したという事情があり、他にマウンドを託せる投手がいなかったのです」(スポーツライター田尻耕太郎)

  '91年、夏の甲子園。大野は春先に痛めた右肘の故障を抱えたまま、医者の警告を振り切って、痛み止めの注射を打ち続けてマウンドに上がった。惜しくも沖縄に優勝旗を持ち帰ることは叶わなかったが、6試合773球を投げ抜き、堂々の準優勝。しかし、その代償は大きかった。大会後に右肘の疲労骨折が判明。9月に手術を受けたところ、患部から親指の爪ほどの骨片が複数摘出されたのだ。

 結局この故障の影響から、投手の道を断念した大野は、進学した九州共立大で野手転向を決意する。その後、外野手として非凡な才能を見せ、巨人からドラフト5位指名を受け入団。だが一軍出場は4年間でわずか24試合と、思うような成績を挙げられぬまま、現役を引退した。

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