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ヒュンダイへ!?「ミスターGT-R」が日産を去るワケ

「フライデーさん、何を書くつもりなの? いま僕は就活中の身なんだから、スキャンダラスに書くのは勘弁してよ」

 神奈川県・厚木の喫茶店に現れた〝ミスターGT-R〟は、開口一番そう言って口元を緩めた。ジョークか牽制か。天才エンジニアの眼は笑っていない。

 水野和敏(61)氏が日産自動車を退職したというニュースはクルマ業界を激震させた。水野といえば、泣く子も黙る日産の大功労者だ。国立長野高専を経て'72年に日産に入社。'80年代後半に初代『プリメーラ』を開発、'90年からは『NISMO』に出向して『グループCレース』のチーム監督として全戦全勝した。'93年に日産に復帰後、カルロス・ゴーンに白羽の矢を立てられ、'07年にゼロから完成させた『GT-R(R35)』は、アクセルを踏み込めば3.2秒で時速100kmに達するモンスター。ゴーンの指示から実質2週間でGT-Rの車両開発書を仕上げたのは、水野の異能ぶりを物語る有名な逸話である。その水野が、日産を去った。いったいなぜなのか。

「昨年1月に定年を迎えて、会社とは1年毎の『常勤嘱託』として契約していました。今回、『後進に道を譲ってはどうか』という話が会社からあったので、3月末日をもって円満に退社した。それ以上でも、それ以下でもありません」

 タバコの煙を吐きながら淡々と語る水野だが、彼が知人たちに宛てた退職の挨拶メールには、日産への愛憎が滲む。

〈GT-Rプロジェクトから自身は離れるが、日産自動車は将来を検討した上で、今回の話をして来たのだろうから〉

〈私個人の今後につきましては心も体もすこぶる快調で充実していますし、無理も効く体力も持ち合わせていますので〉

 水野は毀誉褒貶の激しい人物だが、「変わり者」という評価は衆目の一致するところだ。机上の空論を展開する自社のマーケティングを〝クソバカ〟と痛烈に批判したこともある。

「でも本当に円満退社。先月まで日産から給料を貰っていたんだから、批判するつもりはないよ。本当に感謝しています」