『栄養学を拓いた巨人たち』
「病原菌なき難病」征服のドラマ
杉晴夫=著

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偏見との苦闘! 発見のスリル!
知られざる「真の貢献者立ち」

なぜビタミンが必要なのか?
生体活動のエネルギー源は何か?
命がけで謎に挑んだドラマちっく栄養学!

はじめに

 われわれが生きてゆくために必要な条件は衣・食・住である。だが、これらのうち最も重要なものは言うまでもなく、食である。食物が不足すればわれわれは飢えに陥り、また、食物のとりかたに偏りがあれば健康が損なわれる。これに対し衣と住は、寒冷な地域の人々にとっては必須であるが、温暖な地域の人々はなくても生きていける。

 さてわが国の平均寿命は、男性79歳、女性85歳と、いまや世界最高の水準に達した。この結果、かつて人生の節目として盛んに行われていた「還暦」の祝いはほとんど見られなくなった。われわれは60歳になっても、まだ20年以上もの間、人生を楽しめるのである。われわれがこのように長生きできるようになったのも、医学の進歩による感染症の征服、住環境の改良に加えて、栄養学の成立によりわれわれの日々の食生活が著しく改善されたからである。新聞や雑誌などでは日々、栄養や食生活についての解説や、サプリメントや健康食品の類いの広告がたえることがない。

 ところで、栄養士が料理の献立をつくる際に食品のカロリーを計算するのは、読者も周知のとおり、われわれが食物として体内に取り入れた栄養素をゆっくりと燃焼させ、そのとき発生するエネルギーを利用して生活しているからである。しかし、いまでは「当たり前」となったこの事実に人類が気づくまでには、多くの孤高の天才たちの努力の積み重ねがあった。この事実を最初に発見したフランスのラボアジエは、研究半ばにフランス革命に巻き込まれ、断頭台で処刑された。また、熱が物質を構成する原子・分子の運動であることを明らかにしたオーストリアのボルツマンは、熱の本態についての激しい論争で精神を消耗させ、自殺によってその生涯を終えた。本書の目的は、これらの先人たちの文字通り「血みどろ」の努力を土台として、彼らに続く天才たちによって現代の熱力学と栄養学が構築されていく道筋をたどることである。

 まず第1章は、ラボアジエやボルツマンの、文字どおり生命を賭けた先駆的研究に始まり、生体が摂取した食物を体内で燃焼させ、このとき発生するエネルギーによって生命を維持するしくみが明らかにされてゆく過程を説明する。そこでは研究者たちの激しい論争のドラマが展開された。

 第2章は、摂取した食物が体内で消化・吸収され、糖質、タンパク質、脂質などの栄養素に分解されてわれわれの活動のエネルギー源として利用されるしくみが明らかとなり、栄養学が学問として確立してゆく歴史である。この栄養学の基礎を築いたフランスのクロード・ベルナールは、当時まだ麻酔薬が開発されていなかったため、麻酔なしの動物実験を繰り返して世間の非難の的となった。さらには彼の妻と娘までがこの世論に同調したため、彼の家庭は崩壊した。

 第3章は病原菌による伝染病を征服した人類の前に現れた難問、「病原菌のない病気」の原因解明の歴史である。船乗りたちが怖れた壊血病にはじまり、20世紀初頭の米国で大きな社会問題にまでなったペラグラの根絶にいたる、長い年月をかけた研究者たちの努力を記述する。

 史上最も偉大なビタミン研究者とされる米国のマッカラムは、試行錯誤を繰り返しつつ謎の難病の原因を絞り込んでゆき、ついにその不足が夜盲症を起こす、ビタミンAを発見した。また、ゴールドバーガーらは米国に蔓延したペラグラが未知の栄養物質の欠乏によることをつきとめるため患者の食生活を忍耐強く調査し、この疾患が伝染病ではないことを広く人々に納得させるため、みずから患者の体の分泌物や排泄物を身体に擦り込み、さらには口にすることまでしてみせた。この疾患を引き起こす未知の物質は後年、水溶性のビタミンB群の一つ、ナイアシンであることがわかった。