ブルーバックス
『記憶力を強くする』
最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方
池谷裕二=著

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解き明かされる記憶力の秘密

 神経科学の目覚ましい進歩によって脳の記憶の実体がついに見えてきた。記憶力を高める「夢の薬」を研究する著者が、LTPやシナプス可塑性などの最新理論を解説しながら、科学的に記憶力を高めるための具体的な方法を紹介する。

はじめに

 この本をいま手にとっている皆さんは、多かれ少なかれ「脳」というものに興味がある方であると思います。常に世界の最先端で、脳の研究に従事している私たち脳科学者にとっても、やはり「脳」は不思議な物体です。どうしてこんなにちっぽけな装置で、考えたり、悩んだり、想像したりといった多彩な能力を発揮できるのか、正直なところまだ不明な点も多いのです。そうした意味で、体の中でも脳はとりわけ複雑で奥深いものであるといえます。

 脳は頭蓋骨という堅い容器に囲まれることで外の世界から堅固に隔てられています。これは体のほかの場所にはない独特な構造です。さらに、脳の重さは体重のほんの二%を占めるにすぎませんが、酸素やグルコース(ブドウ糖)などのエネルギー源はなんと全身の二〇~二五%も消費しています。これらの事実は、それだけ「脳」が生命にとって重要であって、高度に特殊化しているということを物語っています。

 脳の複雑なはたらきは、脳に含まれている約一〇〇〇億個の「神経細胞(ニューロン)」によって営まれています。ひと口に一〇〇〇億といっても、実際にそれを想像するのはなかなか難しいことでしょう。たとえば、いま世界の総人口は六〇億人を超えたといわれていますが、地球上の人間の数を全部合わせても、たった一人の人間の脳がもっている神経細胞の総数にはるか遠く及ばないのです。

 さらに圧巻な事実は、ひとつひとつの神経細胞が互いに密接に連絡を取りあっているということです。コンピューターの複雑な電気回路と同じように、脳もまた神経細胞が作りあげている精密な「神経回路」によって機能しています。回路に含まれる神経細胞どうしの接点を「シナプス」とよびますが、このシナプスの総数は人の脳では一〇〇〇兆個にも及ぶといわれています。平均すれば、ひとつの神経細胞が一万個の神経細胞と神経回路を作っている計算になります。人間社会も人と人との相互のつながりで成立してはいますが、それでも毎日一万人もの人と互いに連絡を取りあっている人はいないでしょう。しかも、個々の神経細胞は、一分間に数百から数万回も連絡をやりとりしているというから驚きです。「世界は広し」とはよく聞く言葉ですが、「脳の中はさらに広し」であると実感させられます。脳はまさに「小宇宙」とよぶにふさわしい稠密(ちゅうみつ)空間なのです。

 そして、科学技術の進歩がめざましい現在、その神秘的な機能の一部がようやく解明されつつあります。そうした中で、この本の目的は、「記憶」したり「学習」したりといった、脳の機能の中でもとりわけ高度で難解な問題について皆さんと一緒に考えていくことにあります。記憶はどのようにして脳にたくわえられるのか。そもそも「記憶力」とは何なのか。そして、記憶力を増強するためにはどういう方法があるのか。こういったことを考えながら、現代の脳科学が到達している極限にまで皆さんを案内したいと思います。

 記憶のメカニズムが解明されて、記憶力をコントロールできるようになれば、学校のテストなんて簡単にクリアできるでしょう。また、より多くのものごとを習得できるようになれば、さらに彩り豊かな生活を送ることができるでしょう。しかし、それだけではありません。記憶の研究は、社会的な問題になっているアルツハイマー病などの痴呆疾患の治療法や予防法の確立に向けての大きな糸口となるのです。こうした成果を信じて、脳科学者は日々、記憶の研究に励んでいます。そして、現代脳科学はすでに「記憶力」を増強させるための手がかりをつかんでいます。この本では、そうした脳研究の成果について、最先端の現場から直接レポートします。

 私たち脳科学者の最新の研究成果をすぐにでも皆さんに紹介したいのですが、そのはやる気持ちを抑えて、本書ではまず、脳科学の基本的な概念と記憶のメカニズムを説明します。続いて「海馬(かいば)」と「LTP(長期増強)」に関する最先端の話題を軸としながら、実際にどのように記憶力を鍛えたらよいのかという話を展開していきたいと思います。がむしゃらに勉強するのは、けっして脳によいことではありません。脳には脳なりの能率的な学習方法があるのです。脳のしくみを理解すれば、答えは自然と見えてきます。脳の機能はとても奥深いものです。その本質を少しでも皆さんに伝えることができたならば幸いです。

目次
第1章 脳科学から見た記憶
第2章 記憶の司令塔「海馬」
第3章 脳とコンピューターはどちらが優秀なのか?
第4章 「可塑性」――脳が記憶できるわけ
第5章 脳のメモリー素子「LTP」
第6章 科学的に記憶力を鍛えよう
第7章 記憶力を増強する魔法の薬
第8章 脳科学の未来

著者 池谷裕二(いけがや・ゆうじ)
1970年、静岡県藤枝市生まれ。薬学博士。現在、東京大学大学院薬学系研究科准教授。脳研究者。科学技術振興機構さきがけ研究員。神経生理学やシステム薬理学で海馬の研究を通じ、脳の健康や老化について探求をつづける。日本薬理学会学術奨励賞、日本神経科学学会奨励賞、日本薬学会奨励賞、文部科学大臣表彰(若手科学者賞)、日本学士院学術奨励賞などを受賞。主な著書に『記憶力を強くする』『進化しすぎた脳』(ともに講談社ブルーバックス)、『脳はなにかと言い訳する』(新潮文庫)、『単純な脳、複雑な「私」』(朝日出版社)などがある。
『記憶力を強くする』
最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方

著者:池谷裕二

発行年月日:2001/01/20
ページ数:274
シリーズ通巻番号:B1315

定価(税込):1,029円 ⇒本を購入する(Amazon)


 
(前書きおよび著者情報は2013年1月20日現在のものです)