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週現スペシャル 第2部 第3部
「天才」と呼ばれた人が、本物の「天才」に出会ったとき

 誰よりも頭がいい、そう信じていたが、上には上がいた

 人間は、己を超える圧倒的な才能と出会ったとき、自己を客観視して成長する。「天才」たちにも若き日の敗北体験があり、それを乗り越えたからこそ今がある。

第2部——文系篇
世間は広い、あいつには絶対かなわない
ヤバイくらい頭がいいヤツに会って

「衝撃でした。人間であるかぎり、絶対たどりつけないほど明晰な頭脳。宇宙人だと思いましたよ」

 慶応大学大学院准教授の経済学者・小幡績(45歳)は、ある天才との出会いをこう語る。小幡は学芸大附属高校を卒業後、二浪を経て東大に合格。経済学部へと進み、同学部を首席で卒業、国家公務員一種試験を優秀な成績で通過し、大蔵省へ入省したという、華麗なる経歴の持ち主である。

 小幡にとって、受験勉強など、とるに足らないものだった。「幼稚園受験のとき、伸芽会という塾でテストを受けたら、全国2位だった」「高校までは試験のために勉強をしたことがなかった」「勉強で誰かと競ったような覚えはない」とトップを走り続けた小幡は、ついぞライバルに出会わないまま、大蔵省まで進んだ。その後'99年に退官し、経済学博士号を取得すべく、経済学の本場であるハーバード大学大学院へ入学。そこでついに、「宇宙人のような天才」と出会う。

「入ったのは学者を目指すコースでしたから、レベルが高く、クラスメートの何人かはノーベル賞候補になるようなところでした。

 ある日、ゲーム理論に関する課題が出されて、クラスメート3人で取り組んでいたのですが、まる2日かけてもまったく解けない。私は全力で取り組んでまったくわからない問題というのが初めてだったので、かなり焦っていました。そこに、学内で天才だと噂になっていた年下のインド人がふらりとやってきたんです。試しに相談してみると、まるで悩むそぶりもなく答えを導き出し、わかりやすい解説まで始めたんです。度肝を抜かれましたよ。3人で2日かけて解けないものを、ものの数秒で解いてしまうんですから」

 その天才の名はセンディル・ムッライナタン(39歳)。インド・チェンナイの小さな農村に生まれ、7歳のときアメリカに移住。コーネル大学に通った4年間でコンピュータ科学、数学、そして経済学の学位を取得。経済学を専攻し、ハーバードの大学院に進学。卒業後すぐマサチューセッツ工科大学で教授となり、現在はハーバード大教授で、ノーベル賞を噂される経済学者の一人になっている。小幡が続ける。

「天才というものは、ひとつひとつの考え方を聞いていると、あまりに普通なんですよ。究極の普通。そういう当たり前のことを積み重ねていく。だから真似できそうな感じがするんですけど、やってみるとまったく届かないんです。そこには永遠の溝がある。そんな感覚です。