新年度を迎え視聴率争いもゼロからのスタート! テレビ誕生60年のいま、ドラマ評の役割を改めて考えてみた

 テレビ朝日が2012年度における視聴率で二冠王(ゴールデン、プライム)を達成した。それを成し遂げた原動力はマンパワーだから、社員たちには祝儀が配られた。社歴に応じて、15万円以上。非正規社員には7万円。それだけではない。委託を受けて社内で働くスタッフにも10,000円分のQUOカードが贈られた。

 委託スタッフにまで祝儀を配るテレビ局は珍しい。高視聴率達成で祝儀を配る習慣はフジテレビで1980年代に始められたが、対象は社員とアルバイトを含めた非正規職員までだった。

 ところがテレ朝は直接の雇用契約が存在しない委託スタッフまで気遣った。些細なことのように思えるが、テレビ産業における最大の資源は人材。テレ朝躍進の理由の一つは、こんなところにあるのかも知れない。

 また、テレビ局には制作会社に向けた説明会があるが、ここでもテレ朝は他局との違いを見せた。説明会とは、そのテレビ局がどんな番組を求めているのかを制作会社に向けて話す場。通常、編成部門や制作部門の幹部が出席する。

 だが、テレ朝の場合は説明会に早河洋社長が自ら出席し、「よろしくお願いします」と頭を下げた。ある制作会社の幹部は「よそではあり得ない話で、驚いた」と振り返る。意気に感じたようだ。テレ朝の気遣いは実を結んだ。

「感情を表さない松嶋にはピンとこないな」

 さて、新年度となり、視聴率争いは再びゼロからのスタートだ。前年度の順位は関係ない。各局が満を持して準備した新番組も一斉に始まった。

 新聞、雑誌にドラマ評が並ぶ時期でもある。だが、ときには的外れになってしまうこともある。もちろん、筆者の批評もそうだ。

 近年における的外れの象徴例は、2011年の『家政婦のミタ』(日本テレビ)だろう。最終回で記録した視聴率は40.0%で、過去10年間で最高値だったが、放送開始前後のドラマ評は総じて冷ややかだった。

 大絶賛が始まったのは視聴率が高騰したあと。たとえば、朝日新聞の放送記者による批評も当初は手厳しかった。

 「感情を表さない松嶋にはピンとこないな。こっちまで無表情になって見てしまった」(2011年11月5月付夕刊、放送記者座談会)

 なぜ松嶋が無表情だったのかは物語の終盤で明かされた。実の父親が自分を助けようとして事故死し、のちに夫と一人息子が自分を愛した弟に殺されたのだ。親族たちは、松嶋の笑顔が周囲を不幸にすると責め、「二度と笑うな」と強いた。

 無表情こそ物語のカギ。その過去を松嶋が独白した場面は物語のハイライトだった。それをドラマ評は早々と「ピンとこない」で片付けてしまったのだ。

 半面、放送記者クラブに所属する新聞記者が連ドラをくさした行為は讃えられるべきかも知れない。辛口の批判を書けば、当たり前のようにテレビ局から嫌がられる。

 ドラマ評を書く放送記者の立場は、製品レビューを書くメーカーの担当記者たちと同じ。批判されながら、「よくぞ書いてくれた」と感謝する作り手などいない。逆に、誉められれば、大抵は手放しで喜ばれる。

 一方で新聞以外の雑誌などのテレビ評は批判に偏り過ぎる嫌いがある気がする。そのほうがウケるからだろうか?

 そういった批評を書く人は大半がテレビ界とは無縁だ。制作者たちの顔が見えないから、蛇蝎のごとく嫌われようが平気なのだろう。だからこそ自由に批評できる。

 思うままの批評も視聴者には意義深い。けれど、肝心の事実関係を間違えたものも見受けられる。ウケる文章を書くことが前提にあるため、事実確認が後回しになるのだろうか?

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