特集 TPPへ事実上の協定参加
安倍首相の大きな賭け[TPP決断]

記者会見でTPP交渉参加を表明する安倍晋三首相=首相官邸で3月15日

 安倍晋三首相は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に参加することを表明した。事実上の協定参加の決断である。民主党政権が2年かけて実現できなかった政策課題に、安倍氏は首相就任後3カ月足らずで答えを出した。だが、米国など先行する交渉参加国が年内の合意を目指す中、日本が出遅れを挽回するのは容易ではない。農業分野など日本の国益に直結する「聖域」をいかに守り、成長産業への転換をいかに図るか。長期政権を視野に入れる安倍氏にとってTPPは大きな賭けだ。

「TPPがアジア太平洋の世紀の幕開けとなる。後世の歴史家はそう評価するに違いない。TPPへの交渉参加はまさに国家百年の計であると信じる」。3月15日に行った会見での安倍氏の言葉に迷いはなかった。

 安倍氏はもともと自由貿易論者。自民党幹部は一昨年秋、米民間シンクタンクとの夕食会で、「TPPは対中国のために必要だ」という米側出席者の話に、安倍氏が熱心に耳を傾けていたのを覚えている。

 TPPには、アジア太平洋地域で貿易や投資の新たなルールを作ることで、台頭著しい中国をけん制する狙いもある。安倍氏は会見で「同盟国の米国とともに新しい経済圏を作る。自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的価値を共有する国々が加わる。こうした国々と経済的な相互依存関係を深めていくことは、わが国の安全保障にも、アジア太平洋地域の安定にも大きく寄与する」と強調した。

 国内でTPPが注目され始めたのは民主党政権のときだ。10年3月に米国、豪州など4カ国が枠組みに加わったのを機に、菅直人首相(当時)が同年10月、国会で交渉への参加検討を表明。野田佳彦首相(同)は11年11月、ハワイで行われたオバマ米大統領との首脳会談で交渉参加方針を伝え、続くアジア太平洋経済協力会議(APEC)で関係国との事前協議入りを打ち出した。

 しかし、首脳会談で野田氏が「すべての物品、サービスを貿易自由化交渉のテーブルに載せる」ことを認めたかどうかを巡って日米両政府の説明が食い違ったため、民主党内で反対論が噴出。結局、同党は交渉参加に至らないまま政権の座から転落した。

 では、自民党は民主党とどこが違ったのか――。

 自民党は昨年の衆院選で「『聖域なき関税撤廃』を前提にする限り、TPP交渉参加に反対する」と公約した。文案を練ったのは谷垣禎一執行部時代の茂木敏充政調会長、林芳正政調会長代理、高村正彦党外交・経済連携調査会長。原案は「『聖域なき関税撤廃』を前提にしないなら、TPP交渉参加に賛成する」だったが、野党時代に疎遠になっていた農協など農業団体を取り込むため、反対に軸足を置いた表現にあえて書き換えた。思惑通り、民主党政権を見限った農業団体は各地で自民党候補の支援に回った。

 今や茂木氏は経済産業相、林氏は農相、高村氏は自民党副総裁として安倍氏を支える。安倍政権はまさに「TPP布陣」といえよう。

 衆院選に勝利した安倍氏には二つのハードルがあった。日米首脳会談でTPPが「聖域なき関税撤廃」を前提にしていないことを確認できるかどうか。そのうえで党内の反対派をいかに納得させるか。ここでしくじると民主党政権の二の舞いになる恐れがあった。

 JA全中の萬歳章会長が自民党本部を訪れたのは昨年12月20日。政権復帰を前に、TPPに関する安倍氏の意向を探るのが目的だった。だが、安倍氏は公約以上の言質を与えず、萬歳氏を突き放した。「また民主党に投票するんですか」。交渉参加に踏み切って農業団体が反発しても、もはや農業票の有力な受け皿はほかにないと踏んでの強気な発言だった。足元を見透かされた萬歳氏は記者団に多くを語らず、党本部を後にした。

「族をもって族を制す」

 首相就任後の今年1月1日には、東京・富ケ谷の私邸に塩崎恭久政調会長代理を招き、交渉参加に向けた党の体制を話し合った。そして、年始休みを終えた安倍氏はさっそく「電話作戦」を開始する。相手は西川公也元副内閣相。後に自民党「TPP対策委員会」の委員長に起用するキーマンだ。安倍氏は周囲に意味ありげに語っている。「族(議員)をもって族を制す、だよ」

 西川氏は衆院栃木2区選出の当選5回。世界貿易機関(WTO)の農業交渉に党の責任者として携わった経験を持つ農水族だ。09年衆院選では落選したが、今回はTPP反対を鮮明にして農協の全面支援を受け、民主党前職を破って返り咲いた。しかも、安倍氏は小泉純一郎内閣の官房長官時代、郵政民営化担当の副内閣相として反対派の説得にあたった西川氏が強く印象に残っていた。

首相のTPP交渉参加表明を受けて抗議行動をする人たち=東京・霞が関で3月15日

 2月23日(現地時間同22日)、ワシントンで行われた日米首脳会談。安倍氏はTPPに関する自民党の公約を「国民との約束であり、守らなければならない」とオバマ氏に念押ししたうえで、(1)すべての品目が交渉の対象とされる(2)日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品という2国間貿易上のセンシティビティーが存在する(3)交渉参加に際し、一方的にすべての関税撤廃をあらかじめ約束することを求められない――ことを一つ一つ確認した。オバマ氏も同意し、両首脳は会談後に共同声明を発表。日本の交渉参加は事実上、この瞬間に決まった。

 安倍氏周辺は訪米前、首脳会談の結果によっては2月28日の施政方針演説で参加表明することを検討していた。ただ、米側は日本の参加承認に向けて米議会に根回しする必要があった。表明を急ごうとした安倍氏に、オバマ氏は「weeks」の猶予を要求。2週間程度、間をおくことになった。

 帰国した安倍氏は2月25日、江藤拓副農相を密かに首相官邸に呼び、農協と水面下で折衝するように指示。TPP反対論者の江藤氏も「首相の決意は固い」と受け入れざるを得なかった。

 一方、自民党側では、2月27日に新設されたTPP対策委を舞台に、委員長の西川氏が安倍氏の期待通りの働きをみせた。ヤマ場と目された3月13日夜の対策委総会は、政府の交渉参加を容認する決議案をわずか2カ所修正しただけですんなり了承した。政府筋は「西川さんから『2時間で終わる』と事前に聞いていた。予定通りだ」と満足げに語った。

 約240人の同党国会議員が参加する「TPP参加の即時撤回を求める会」(森山裕会長)は3月22日、「TPP交渉における国益を守り抜く会」に名称を変更。今後は交渉をにらみながらの「条件闘争」に移行する。

 実は、野田政権も交渉参加寸前までこぎつけていた。枝野幸男前経済産業相は衆院解散後の昨年12月上旬、「米国との協議は整った。表明しましょう」と野田氏に進言したが、 解散後だったために野田氏は首を縦に振らなかった。

 2月28日の衆院予算委員会。日米共同声明について「民主党政権で下ごしらえの交渉は終わっていた」と追及する玄葉光一郎前外相に、安倍氏は苦笑しながら切り返した。「ならば民主党政権時代に文書にすればよかった。政治は結果なんですよ」

 毎日新聞の3月の全国世論調査では、安倍氏のTPP交渉参加表明を「支持する」との回答が63%に上った。実際には日本の参加は早くても7月で、同月の参院選への影響は限定的とみられる。だが、その先は政権の体力次第だ。「農林水産分野の重要5品目や国民皆保険制度などの聖域が確保できない場合は、脱退も辞さないものとする」という自民党の決議が空文で終わる保証はない。

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