ブルーバックス
『脳からみた認知症』
不安を取り除き、介護の負担を軽くする
伊古田俊夫=著

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ある日突然、ネクタイが結べなくなる。妻の顔がわからなくなる。
そのとき脳で、何が起こっているのか?

 5歳刻みで発症率が倍増する。予防のカギは、40代からの生活習慣が握っている――。専門医が語る「認知症のすべて」

はじめに

 ある夏の日、私は特急「オホーツク」に乗って、置戸(おけと)町(北海道常呂郡)へと向かっていた。旭川をすぎると徐々に山並みが線路に迫り、ときに切り立った渓谷の狭間を列車は走る。

 遠軽(えんがる)に近づくと、緑の濃さも増して石狩や空知(そらち)とは趣が異なる風景に目を奪われた。やがて留辺蘂(るべしべ)の駅に着き、列車を降りる。雑草が生えたホームに降りたった客は、私一人であった。駅舎の待合室には、私を迎えにIさんが来てくれていたが、なぜか高齢のご婦人と一緒にベンチに座っていた。

 どこかようすがおかしい。老婦人は目も虚(うつ)ろで、そわそわキョロキョロして落ち着きがない。Iさんによれば、駅舎で私の到着を待っていたところに認知症で徘徊中のこの婦人が入って来たので、駅員さんと一緒に保護したところだという。幸い身元がわかったので家族には連絡ずみで、迎えが到着するのをしばらく待ってほしいとのことであった。

 一五分ほどして、認知症の婦人は家族とともに無事、自宅へと帰っていった。私は、Iさんの運転する車で置戸町に向かった。置戸町で開催された「認知症の人とともに暮らすまちづくり研修会」で講演を行った私は、つい今し方体験したばかりのエピソードから話を始めた。会場からは、ため息とも笑い声とも感じられる声が響いた。「今」という時代が認知症の人とともに暮らす時代であることを実感しながら、話を聞いていただけたようだった。

 認知症を患う人の数は、二〇一二年度に三〇〇万人を超えると発表された(二〇一二年八月)。高血圧や糖尿病の患者数ほどではないが、今後一〇年以内に四〇〇万人を超えると考えられている。年齢的には、八〇歳を超えた方々の四~五人に一人が認知症をもっていると推定され、現代の日本社会は「認知症の人とともに暮らす社会」へと、急速に変わり始めている。

 街を歩いていると、驚くことが少なくない。

 少し前までレストランであった建物がデイサービス施設に姿を変えていたり、単身の若者向けアパートが高齢者共同住宅やサポート付き高齢者住宅に改装されていたりする。正規の介護施設だけでは介護を必要とする高齢者を収容しきれず、インフォーマルな高齢者施設が急速に増加しているからだ。

 認知症患者の増加を背景に、企業や地域の認知症啓蒙活動やボランティア育成活動も活発になっている。交番のお巡りさん、銀行員や郵便局員、スーパーやコンビニの店員さん、役所の窓口業務に従事する方々、床屋さんにお風呂屋さん、多くの人々が認知症についての知識をもたなければ、仕事がスムーズにいかない時代になっている。