『二重らせん』
DNAの構造を発見した科学者の記録
ジェームス・ワトソン=著 江上不二夫・中村桂子=訳

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DNAの二重らせん構造はどのように発見されたのか
生命科学の基礎を築いた大発見の舞台裏
ワトソン博士ノーベル賞受賞から50年を記念して新書化

 共同発見者のフランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスらとの出会いから、「多才な巨人」ライナス・ポーリングの猛追をかわして、二重らせん構造の発見にいたるまでの、その舞台裏をワトソン博士が赤裸々に綴った感動のドキュメント。

ローレンス・ブラッグ卿の序文

 遺伝の基本物質であるDNAの構造を解明するまでの経緯をしるした本書は、いろいろな意味でユニークであり、ワトソン君から序文を依頼されたとき、私は喜んで引き受けることにした。

 この本の特徴はまず科学的に非常におもしろいことである。クリックおよびワトソン両君によるDNAの構造の発見は、その生物学上の意味合いもふくめて、今世紀の科学界における主要な事件のひとつであった。それこそ無数の研究がこの発見によって触発された。それは、生化学の分野に爆発を引き起こし、その形をまったく変えてしまったといってもよい。私は著者に、生の記憶があせないうちに本にまとめておくことを強くすすめた者のひとりである。それが科学史に非常に重要な貢献をすることは目に見えていたのである。結果は私が期待した以上のできばえであった。新しいアイデアの誕生が、非常にいきいきと描かれている後半の章は、第一級のドラマを構成しており、息もつかせぬ緊張が高まったすえに、最後のクライマックスに達する。研究者の苦闘、疑問、そして最後に得られた勝利を、読者がこれほど心の底から分かち合える本は、おそらくほかに類をみないだろう。

 つぎに、この物語は、研究にたずさわる者が直面するつらいジレンマの一例を見せてくれる。ある研究者がひとつの問題について長年研究をつづけて、苦労して得た豊富な実験結果を手にしているのだが、あと一歩ですべてが解決しそうなので、そのときを期して、研究成果の発表を控えているとする。たまたまそのデータを見た彼の同僚が新手を思いつき、ちょっと観点を変えてあたれば、問題はすぐにも解けると確信したとする。しかし、その段階で彼が共同研究を申し入れるとすれば、前からの研究者の権利を侵害したと思われてもしかたがない。では彼は独立に仕事を進めるべきだろうか。決め手となる新しいアイデアを思いついたとき、それがほんとうに自分自身のものか、それとも仲間と話しているあいだに、知らず知らずのうちに吸収されたものかを判定するのはむずかしい。したがって科学者のあいだでは、同僚がそれまで大切にしてきた一連の研究に手をつけることもある程度までは認めるという漠然とした不文律ができている。競争が二ヵ所以上で起こるとなれば、もはや遠慮はいらないのだ。DNA物語の場合にも、あきらかにこのようなジレンマがおきた。一九六二年のノーベル賞授与にあたっては、ケンブリッジにおいて、クリック、ワトソン両君が導いた、輝かしく胸のすくような最終的解決と並び、キングス・カレッジ(ロンドン)のウィルキンスが行なった長く忍耐強い観察の功もあわせ認められ、三者に賞が贈られた。少なからず関係のあったわれわれ一同にとっては、まことに欣快にたえない。

 最後に、この物語の人間的なおもしろさとして、アメリカからやって来たひとりの若者に、ヨーロッパ、とくにイギリスが与えた印象は、興味深いものがある。彼はそれをピープス(イギリスの官吏、日記作家。その「帝国海軍の思い出」は外国語と独得の暗号を織りまぜた速記法でしるされ、海軍軍政の実態や日常生活をありのまま率直に紹介している)のような率直さで書いている。この本のなかに登場する人びとはできるだけひろい心で本書をお読みいただきたい。また、一般の人びとは、この本をあくまででき上がった歴史とは思わず、いつの日か書かれるであろう歴史のためのひとつの自伝的文献とみていただきたい。著者自身が認めているように、この本は歴史的な事実というよりは、むしろ個人的な印象をしるしたものである。事のてんまつは、当時ワトソン君が考えていたほど単純ではなく、また関係者の真意は、彼のみるほどゆがめられたものでもなかった。とはいうものの、人間の弱点に対するワトソン君の直観が、しばしば的を射ていることは認めないわけにはゆかない。

 この物語に関係したわれわれのうち、私をふくめた何人かは、著者から原稿を見せられていくつかの歴史的な誤りを指摘したが、私個人としては、あまり変えてしまうのは意にそまぬことであった。この本のおもしろさは、彼がみずからの印象を語るときのイキのよさと悪びれぬ筆致に大いに負うところがあると思ったからである。