[ボクシング]
近藤隆夫「IBF、WBO加盟で変わりゆく日本ボクシング界」

歴史から“消された”王者

平成になって以降、日本人世界王者はさらに増え、41名が王座に就いた。

「新垣諭は入れるべきではないか」

 そんな話をしたのは、もう約四半世紀も前のことである。1989年当時、私は『ゴング格闘技』(日本スポーツ出版社)誌の副編集長だった。「昭和」から「平成」に元号が移り、それを機に増刊号『昭和の名ボクサー伝説の100人』を編むことになる。

 多くのボクシング関係者、記者、識者の意見も参考にして、まずは日本人プロボクサーの中からトップ100人を選ぶことから編集作業を始めた。 世界王座を獲得した選手は、当然、選出することになる。この89年時点で日本ボクシングコミッション(JBC)が認める世界チャンピオンは次の26人。

 白井義男、ファイティング原田、海老原博幸、藤猛、沼田義明、小林弘、西城正三、大場政夫、柴田国明、輪島功一、ガッツ石松、大熊正二、花形進、ロイヤル小林、具志堅用高、工藤政志、中島成雄、上原康恒、三原正、渡嘉敷勝男、渡辺二郎、友利正、小林光二、浜田剛史、六車卓也、井岡弘樹。

 彼らはすべてWBA(前身のNBAを含む)、WBCが認定する世界チャンピオンである。だが、もうひとり、日本人世界チャンピオンが存在した。84年4月から約1年間、IBF世界バンタム級のチャンピオンベルトを腰に巻いた新垣諭である。

 IBFは83年に誕生した(WBA、WBCに続く)ボクシング第3団体。そのIBFの初代バンタム級王座決定戦(84年4月15日)で、新垣はフィリピンのエルマー・マガラーノを8回TKOで破った。王座を1度防衛した後、2度目の防衛戦で、後に3階級制覇を果たす“豪州の英雄”ジェフ・フェネックに9回TKO負け。王座から陥落している。

 だが新垣は、JBCが「団体乱立は好ましくない」との理由で、IBFの存在を認めなかったため、日本では世界王者として広く知られることはなかった。メディアもJBCとの敵対を避けて新垣から遠ざかっていた。

 そんな状況下で私は「新垣は入れるべきではないか」と提案した。賛同してくれる識者もいたが少数だった。結局、あの時、JBCに認可されていない団体のリングで試合を続けた新垣を100人の中に入れることはできなかった。