スポーツ

[プロ野球]
上田哲之「日本野球の宿題」

2013年04月09日(火) スポーツコミュニケーションズ

 もはや旧聞に属するかもしれないが、まずはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の例のシーンの話から始めよう。3月17日(現地時間)の準決勝、プエルトリコ戦。3-0とリードを許した日本は8回裏、ようやく反撃の糸口をつかむ。鳥谷敬(阪神)の三塁打から井端弘和(中日)のタイムリーで1点返し、内川聖一(福岡ソフトバンク)もヒットで続いて、なお1死一、二塁。打席には、4番・阿部慎之助(巨人)。長打なら同点の大チャンスである。

 ここで山本浩二監督が出したサインは、もはや日本中に知らぬ人とてないダブルスチール。二塁走者・井端はスタートを切った直後、自重して帰塁した。ところが、それに気づかない一塁走者・内川はそのまま走ってしまうという痛恨のミス。一、二塁間に挟まれ、あえなくアウトとなり、阿部も凡退して、結局この回の反撃は1点どまり。結局、そのまま3-1で敗退したのでした。

 この時の山本采配は、いわゆる「グリーンライト」であったことがわかっている。つまり「行けると判断したら、いつ走っても良い」という盗塁のサインである。事後、多くのメディアや評論家が、このサインを批判したことも、皆さまよくご存知だろう。代表例として、たとえば、野村克也氏の評論をあげよう。<「行けるなら行ってもいい」というのは判断を選手任せにし、かえって選手に責任を背負わせてしまう。(中略)山本監督はこの1カ月間で、自身の野球を浸透させることができなかった。>(「サンケイスポーツ」3月19日付「ノムラの考え」)。

 あるいは、朝日新聞の西村欣也記者による著名なコラム。相手が強肩捕手であるにもかかわらず、それでも足に賭けるのが監督のやりたい野球である。<ならば、サインは「ディスボール」(この球でいけ)でなければおかしい。(略)「行ければ行け」は選手の自主性を重んじるようにみえて、監督が自分の責任を回避するための戦法と言われても仕方ない。>(「朝日新聞」3月20日付「EYE」)。

 いずれも日本を代表する評論家であり、メディアの言説である。このような言説を私なりに乱暴に要約すれば、要するに、選手の判断に任せるといえば聞こえはいいが、それは、実は監督の能力の限界を示しているのだ、ということになるだろう。それはまた、世間様の大方の感想でもあったにちがいない。

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