『ふたつの震災』その後 【第3回】
生きてゆくために「仕事」を興す

陸前高田の現状について語る「カンコちゃん」こと、佐々木一義さん

【第2回】はこちらをご覧ください。

 「うちのマンションさ寄って線香あげてけ。息子たちも来てっからさ」

 いつも通りに明るく人懐こい電話の声に誘われて、私は佐々木一義さん(60)宅に向かった。岩手県陸前高田市内を一日走り回った3月10日の夜、彼と会う約束をしていた。

 「マンション」とはなんのことはない、私も何度か泊めてもらった仮設住宅のことである。佐々木さん、というより、「カンコちゃん」と言ったほうが地元で通りがいい彼には、震災3ヵ月後に西岡研介と初めてこの町を訪れて以来、ずっと世話になり通しだ。

 カンコちゃんは、妻と家と仕事を大津波で喪ったにもかかわらず、自分のことはとりあえず横に置いて、「高田の現状を見てほしい。高田の人たちの話を聞いてほしい。そして伝えてほしい」と、私たちをあちこちへ案内し、さまざまな人たちに引き合わせてくれた。

 『ふたつの震災』の取材をしているさなか、突然思い立って市議会議員選挙に出ると断トツで当選を果たし、私たちを驚かせたが、市議になってからも彼のスタンスは何も変わらない。

 自分が生まれ育ち、こよなく愛する陸前高田をはじめ、隣接する大船渡市や宮城県の気仙沼市まで連れて行ってくれ、まだまだ「復興」には程遠い被災地の現状や、それでもなんとか立ち上がろうとする人たちの姿を見せてくれた。

 神戸にいても写真付きの携帯メールが頻繁に届き、陸前高田の風景やいま町で起きていること、こういう人がいるから話を聞いてほしいということまで知らせてくれる。カンコちゃんの目を通して被災地の、とりわけ「ケセン(気仙)」と呼ばれた岩手県南部の歩みを見ているようなところが、私たちにはある。

 仮設住宅に着くと、2Kの室内は以前に泊まった時よりも、ずいぶん温かな生活感があった。ちょうど1年前、保育士をしている長女が市内に職を見つけて関東から戻り、父娘2人暮らしになったからだろう。

 この日はカンコちゃんの妻、美和子さんの法要があったため、他の3人の子どもたちもそれぞれ家族を伴って帰郷し、賑やかなひと時を過ごしたようだ。ピースサインで笑う美和子さんの遺影を置いた仏壇の周りには、新しい花が飾られ、多くの人が寄せたお供え物が積まれていた。

被災率86%。働く場所がなくなってゆく

 私は、一緒にいた友人の大学教員をカンコちゃんに紹介した。彼は被災地の産業復興調査を続けている。そのことを知ると、カンコちゃんは挨拶もそこそこに陸前高田の現状を語り始めた。

 「鮭・イクラとかワカメとか、水産関連を集約した加工団地を沿岸部に作る計画ですごく頑張っておられる会社もあるんだけども、高田の市街地はかさ上げからやらねばだめだから、なかなか話が進まねえのす。

 お酒や味噌醸造の有名な老舗もあったけど、再建を急がねばというので、大船渡や一関に出て行ったりしてますし、事業の規模を小さぐしてなんとか続けようとしても、なかなか厳しくて、個人経営のお店なんかは廃業するところもいっぱいあって・・・」

 カンコちゃんは初めて会った時から、企業や工場を誘致しなければいけない、地元に根付く事業を興さねばならない、雇用を作って人が暮らしていけるようにしないと町がこのままなくなってしまう、と何度も繰り返し言っている。もともと彼自身が経営者だったこともあって、産業復興に懸ける思いは強い。この日も思いの丈が溢れ出して、しばらく止まりそうになかった。

 小売・飲食店や建設・製造業などの中小零細業者が加盟する陸前高田市商工会の調査によれば、会員だった699事業所のうち、604事業が何らかの形で被災した。店舗や事務所が集まっていた旧市街地が根こそぎ流されたため、被災率は実に86.4%に上る。

 このうち、今年2月半ばまでに仮設店舗で営業を再開できたのは337事業所(被災事業所の55.8%)。対して、廃業と転出が合わせて227事業所(同37.6%)、まだ再開できていないところが29事業所(同4.8%)。事業主、つまり経営者の2割が亡くなったといわれる影響が如実に表れている。

 仮設店舗にしても、期限は5年。現在、市と商工会が新しい商業集積地の計画を描きつつあるが、カンコちゃんが言うように、まずはかさ上げと区画整理からのスタートとなる。商工会の調査では、被災事業所の6割が再開の意思ありと見られているが、現時点では市内での事業継続を考えていても、計画の進捗や中身次第でその意向がどう変わるかはわからない。

更地を背景に建つ「バンザイ・ファクトリー」。風力発電で電力を一部賄っている

 事業所がなくなるということは、働く場所がなくなるということだ。町に踏みとどまって生活を立て直したいと望んでも、あるいは、故郷に戻って再建に尽くしたいと願っても、そこに仕事がなければあきらめるしかない。それは陸前高田に限らず、三陸沿岸部に連なる小さな町が震災前から抱えていた悩みだった。津波はそれを加速させ、より厳しい形で顕在化させた。

 地域社会の弱い部分を災害があぶり出すのは、阪神・淡路大震災でも同じだった。しかし、町や地域そのものの存続が危ぶまれるような三陸の被災地の深刻さは、神戸や阪神間の比ではない。

 東日本大震災が露わにしたのは、人や仕事やさまざまな資源を吸い上げることによって発展してきた都市と、その構造に依存してきた---時として、自ら望んでそうなった---地方との間の、大きな格差であったことをあらためて思い知らされる。

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