第2部 過去の栄光を捨て 第3部 石川遼、本田圭佑…… 「ああ、あいつにはかなわない」そう思った瞬間から、本当の勝負は始まった

第2部 過去の栄光を捨て
「変わる勇気」で世界レベルに

 '00年6月、モロッコで行われたハッサン国王杯の日本代表対フランス代表戦。同じトップ下としてジネディーヌ・ジダンと相まみえた中村俊輔(34歳)は「あれはまるで宇宙人だ」と感想をもらした。

「テクニックで客を魅了できるだけでなく、走っても速い。フィジカルも強い。判断も速い。そんなオールラウンダー、他にいないよ。次元が違う。代表でもクラブでも、ジダンがいるチームが勝つという雰囲気が当時、あった。僕が目指しているのはまさにそこなんだ—天才との遭遇を俊輔は実に熱っぽく語っていました」(スポーツライター・中島大輔氏)

 中村を魅了したのはジダンのワンプレーではなく、ゲームメイクであった。以下、中村が中島氏に語った言葉である。

「味方の最終ラインから相手の最終ラインまで、全選手の配置をイメージし、自分がここにいるからボールがあそこから来る。その間にFWがこう動くだろうから—ジダンは常にこういう風に考えながらプレーしている。だから、ダイレクトでシュートを打つのか、パスなのか瞬時に判断できる。相手より先んじられるから、いいポジションを取れる。より簡単にゲームを支配できるわけです」

 '01年3月、日本代表はフランス・サンドニで再びフランス代表と激突したが、0—5で大敗。この時、中村が感じたのは憧れではなく焦燥感だった。

「僕たちは何もさせてもらえなかった。このままJリーグにいて、日本人だけを相手にしていたら、間違いなく世界から置いていかれる。一刻も早く、海外に出なくてはと焦りました」

 フランス戦の惨敗が引き金となり、中村はレッジーナ、セルティック、エスパニョールと海外武者修行に出た。24時間、サッカー漬け。最もリラックスできる時間は、「サッカーを遊びでやるとき」(中村)という日々を過ごした。

 その成果が出たのが'06年11月、チャンピオンズリーグのセルティック対マンチェスターユナイテッド戦だろう。0—0で迎えた後半31分、ゴールまで30mの距離でFKを得ると、中村は見事、ニアサイドに蹴りこみ、セルティックを史上初のチャンピオンズリーグ決勝トーナメントへ導いた。

「自分の長所を見せるのも大切だけど、まずは短所をなくす努力をすること。球際で負けない、相手より多く走る、闘争心を出す。チームメイトと連動していいプレーをし、その中で自分の色を出す。それがチームの戦術を理解しているということ。試合に出続けるためには、攻めでも守りでも、監督が使いたいと思える選手でなければならない」