特別読み物 第1部 努力は天才に勝る 
「ああ、あいつにはかなわない」そう思った瞬間から、本当の勝負は始まった

 イチローだって、ダルビッシュだって、挫折を経験していた 一流スポーツ選手「天才が天才に出会ったとき」の研究

 誰にでも一度は、天才と出会った経験があるだろう。生まれつきズバ抜けた存在である彼らは、どうやって自分を高め、そして、没落していくのか。天才たちのドラマを追った。

第1部 努力は天才に勝る 
「一段上の世界」に進んだ男たち

 あの男がいたら……。

 3連覇を逃したWBCを観て、過去2度、同大会で日本代表を世界一に導いたイチロー(39歳)の存在の大きさを再認識した人も多かったのではないだろうか。

 だが、今や世界標準の天才となったイチローも「最初から超一流だったわけではない」と言うのはオリックス時代の同僚、パンチ佐藤氏だ。

「彼が'91年にドラフト4位で指名された後、『凄いヤツが入ってくる』という情報が入ってきた。ただ、沖縄の春季キャンプで見たかぎりでは正直、『細いな。モノになるまで5~6年かかるだろう』と思っていましたね」(パンチ氏)

 キャッチボールの球はグーンと伸びるし、走る姿が美しい。スイングは、まるで日本刀で球を斬るかのように鋭い。確かに凄い選手だが、すぐに自分を脅かすような存在ではない。全日本代表経験もあり、'89年ドラフト1位で入団後、1年目から3割を打って人気選手となっていたパンチ氏のこの考えは、すぐ改めさせられることとなった。シーズン開幕後のことだ。

「ナイターが終わって宿舎に戻り、晩飯を食べ終えると、誰かが打ち込んでいる音がする。見ると、イチローがマシン打撃をやっているんですよ。深夜0時頃に音が止んだかと思うと、今度はガチャンガチャンとウエイトトレーニングをやっている音がする。それが3時まで続く。道具にもこだわっていて、18歳の若造がバット工場まで行って、職人にあれこれ注文をつけているという。モノが違うな、という選手は他にもいましたが、ここまで努力できる男はいない。『こりゃダメだ。すぐに抜かれる』と青くなりましたね」(パンチ氏)

 パンチ氏の見込みどおり、イチローは入団1年目にしてファームの首位打者に輝き、一軍昇格。'94年、レギュラーに定着するや、日本記録となる210本のヒットを放って首位打者のタイトルを獲得。以降、マリナーズに移籍する'01年までこのタイトルを独占し続けた。イチローはまぎれもない天才だった。

どうしても打てない投手

 しかし、その天才にも転機が訪れる。

 '01年4月2日、記念すべきイチローのメジャー開幕戦。先発マウンドにはアスレチックスのエース、ティム・ハドソンが立っていた。