「吉本隆明―詩人の叡智」著:菅野覚明
ボク、オレ、ワシ、そして自我

 運動部が滅法強く、やんちゃの方面でも名を轟かせていた中学から、どういうわけか県内有数の進学校に入ってしまったときのカルチャーショックは大きかった。悪さをした生徒に泣きながらビンタをくれる教師もいれば、近郷近在泣く子も黙る伝説の番長もいる。公立中学なのに、立派な団旗を備えた応援団まである(筆者も強制徴用された団員だった)といった、当時にしてすでに十分前時代的、牧歌的な世界で愉快に暮らしていた者には、いわゆる有名進学校の環境・風土はほとんど別の惑星のそれとしか思えなかった。

 男がみんな「ボク」という外国語の一人称を使っているのにも驚いたが、何よりもたまげたのは、彼らの会話に当たりまえのように出てくる人名や書名が、それこそ神かけて聞いたことがないものばかりだったことだ。

 当時、家庭の経済的困窮、及びグレるほど腕力に自信がなかったなど諸般の事情により、やむなく文学少年となっていたのだが、太宰治を読んだことのある者が校内で二名しかいないという環境下では、私小説を読み、萩原朔太郎を愛読しているといえば、それだけですでに押しも押されもせぬ文化人であった。

 そんなお山の大将文化人が―何しろ、最先端の作家は三島由紀夫であると信じていたのだ(昭和四十六年当時)―、いきなり埴谷雄高、吉本隆明、田村隆一、谷川雁、黒田喜夫・・・・・・といった一斉射撃を浴びたわけだから、その衝撃はほとんど想像を絶していた。

 彼ら早熟な秀才たちは、こちらが歴史的人名として暗記しているだけのマルクスやレーニンを、まるで知り合いででもあるかのように日常の話題にしていたし、さらに驚いたことに、大学生の暴走族だとばかり思い込んでいた連中が、れっきとした政治、思想団体であると教えられ、なおかつその正規のメンバーと称する者が何人もいたのである。今にして思えば、要するにたぶらかされていたということなのだが、賢こそうな女の子たちが「ユリイカ」なんぞをこわきにかかえ、「埴谷雄高がさぁ・・・・・・」とか言いながら歩いている姿には、いろいろな意味でクラクラときたものである。

 
◆ 内容紹介
歿後1年、ついに出た決定版! 吉本隆明ほど多様かつ厖大な思索を展開し、著作を残した思想家も珍しい。『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』『心的現象論 本論』『最後の親鸞』『初期歌謡論』『ハイ・イメージ論』などなど、主著とされる著作も数多い。その全容を、初期の出発点から最晩年まで検証。すべての思索に一貫して流れる思想を、初期詩篇「固有時との対話」の哲学に見出す画期的力作。すべての根源は、ここにあった。そして、詩的思想こそが、吉本の本質であった。