『ふたつの震災』その後 【第2回】
原発被災地からの「卒原発」

【第1回】はこちらをご覧ください。

元楢葉町議の松本喜一氏 (3月12日 西岡撮影)

 「そもそも、この国の一体、誰が、何を根拠に、(東京電力福島第一原発の)『事故は収束した』と言えるわけさ? あれは野田(佳彦・前首相)さんや民主党が勝手に言っただけで、今の安倍(晋三・現首相)さんや自民党も追認してっけども・・・。

 未だに(原子炉)建屋の中はとんでもない線量で、人が入れないどころか、ロボットまで壊れちゃうんだよ。そんな状態でどうやって溶けちまった燃料棒、引っこ抜くんだ?

 それに津波にやられる前は『地対空ミサイルでも破られない五重の防護壁』なんて自慢してたけども、今は薄い壁一枚で囲ってるだけでしょ。もっかい(もう一回)、地震や津波が来たら(原発立地地域の)双葉郡8町村はもちろん、福島、東京までアウトだ」

 3月12日、約1年ぶりに福島を訪れ再会した私に、元楢葉町議の松本喜一氏(65)はこう語った。それからわずか6日後に、私は彼の言葉を思い知らされることになる。

 18日午後7時ごろ、福島第一原発で停電が発生し、1、3、4号機の使用済み燃料プール代替冷却システムなどが停止。約30時間後に復旧したものの、この冷却システムの停止事故は、同原発の事故が未だ「収束」とはほど遠い状態にあることを国民に知らしめた。

 また東電は後に、停電の原因を「ネズミによるショート」と断定したが、事故発生当初は東電も原子力規制庁もその原因を特定できず、彼らがこの事故原発を完全に制御し切れていないことが改めて明らかになった。

「福島5区」からの国政出馬

 この未曾有の原発災害を生んだ東日本大震災の発生から、約1年にわたって神戸新聞時代の同僚、松本創と二人で被災地を歩き、綴った共著『ふたつの震災』。その福島での「水先案内人」を務めてくれたのが前出の元楢葉町議、松本喜一氏だった。

 楢葉町では今回の震災で、関連死も含め19人が亡くなり、住宅125戸が全半壊した。海岸沿いにあった松本氏の自宅も津波で全壊したが、直後に発生した原発事故で、住民の避難誘導に当たり、住民とともにいわき市勿来の小さな集会場に避難した。

 20キロメートル圏内に避難指示が出された後も、仲間の町議と遺体を圏外まで運び、避難を拒む世帯の説得にあたった。楢葉町の仮設住宅が、いわき市内や会津美里町にできた後は、各仮設や借り上げ住宅を回り、東電や国に対する住民の不満や要望に耳を傾けてきた。

 その松本氏が楢葉町議を辞め、昨年末に行われた衆院選に、福島第一・第二原発を抱える双葉郡といわき市からなる「福島5区」からの出馬を表明したのは公示前日、12月3日のことだった。

 私は、松本氏の突然の出馬表明に驚くと同時に、「一本気なあの人らしいな・・・」とも思った。が、唯一引っかかったのは、彼が公認を受けた政党だった。

 「日本未来の党」

 ご存知の通り、昨年11月に嘉田由紀子・滋賀県知事が「卒原発」を掲げ設立し、小沢一郎氏が代表を務めていた「国民の生活が第一」などが合流して作られた新党だ。

 先の衆院選では121人の候補を擁立したものの、小選挙区で当選したのは小沢氏と、「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」から合流した亀井静香氏の2人のみで、比例区を合わせてもわずか9議席と惨敗した。

 その後「嘉田派」と「小沢派」の主導権争いの末、小沢派議員が「生活の党」に改称し、消滅。一方の嘉田派議員の阿部知子衆院議員は新たに「日本未来の党」を立ち上げたが、政党要件を満たしていないことから今は「政治団体」である。

 だが、私が引っかかったのは、設立当初のこの党の面子や野合ぶりではない。繰り返すが、「日本未来の党」は「卒原発」を旗印に衆院選に候補を擁立し、政治団体となった今もそれを掲げ続けている。

 一方の松本氏は以前、私の取材にこう語っていた。

浪江町請戸地区。請戸の中心部254号線沿いに設けられた祭壇に手を合わせた後、請戸の街を見る松本喜一氏(左) (2011年7月10日 西岡撮影)

 「今回の事故でもわかったように、原発ってのは危ねえんですよ。勉強すればするほど危ねえってことが分かる。だって放射能は最終的に完全に制御はできねえんだから。つっても、俺は(原発)反対派じゃねえよ。

 別にもろ手を挙げて賛成していたわけでもねえが、立地4町のある浜通りは昔から『福島のチベット』って呼ばれてて、実際のところ、原発がなけりゃあ食っていけなかったんだから」

 つまり彼は原発の危険性を認識しながらも、あらゆる面で「過疎地」だった立地4町の「発展」あるいは「維持」のために、それを容認していたのだ。もっとも「もろ手を挙げて賛成していたわけでもねえが」という言葉通り、松本氏は事故前から福島第一・第二原発の安全対策について東電を厳しく追及していた議員の一人だった。

 とはいえ、事故後も"条件付き容認派"だった松本氏はなぜ、「卒原発」を掲げる「未来の党」の公認候補として出馬したのか・・・。選挙後もすっきりしないものを感じていた私は、彼本人から直接、その"真意"を聞きたいと、福島に向かった。

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