雑誌
慶応に大きく差をつけられて 早稲田のライバルは明治になったのか 第2部 早稲田の大物OBが嘆く「こんな学校じゃなかった」

「不思議な大学です。僕は7年もの間早稲田に居座りましたが、通っていた頃、あのキャンパスは単なる"雑踏"にすぎなかったんですよ。ところが卒業すると、いつまでも心の中に残る。まさに心のふるさとだと思います」

 ジャーナリストの田原総一朗氏(78歳)は、小説家を志し、滋賀県から上京。'54年に早大第二文学部に入学した。

「当時、作家になりたいという学生は、みんな早稲田の文学部を目指したものでした。だから僕は慶応も東大も受けず、早稲田の文学部だけ受験した。早稲田に入って、早稲田の同人誌に入って、新人賞をとって作家になる、それが夢でした」

 田原氏は一度中退。第一文学部に再入学する。

「卒業する気はさらさらなかった。早稲田なんて卒業する大学ではないんですよ。僕の世代の作家で言えば、五木寛之さんや野坂昭如さん、永六輔さんなどが早稲田ですが、皆中退です。

 僕はどこの同人誌に行っても褒めてもらえず、才能に限界を感じたので、仕方なく卒業してマスコミに行ったわけですが、早稲田に求めるものははっきりしていた。いまの学生はそれが曖昧なんですね。

 もはや早稲田の政権は終わった。これからますます人口が減少していくなかで、早稲田とはどういう大学なのかを明確にしていかなければなりません」

 東大でも、慶応でもなく、なぜ早稲田を目指すのか。学生側にはその目的意識が、大学側には差別化していく意識が欠如している。生徒を増やそうと噦慶応化器を続けた早稲田大学が、いつしか独自の強みを失ったのは第1部で述べた通りだ。

 商学部'59年卒、元衆院議員の山崎拓氏(76歳)は、自身の愛した「早稲田らしさ」をこう語る。

「早稲田OBであり『人生劇場』で有名な作家・尾崎士郎は、早稲田の持ち味は『洗練された野性味にある』と言っていました。東大のようなガリ勉ではなく、文武両道の人材が多い。これが本来の早稲田の特色だと思います」