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インサイドレポート わずか2年、54歳の若さで相談役に 資生堂の社長はなぜ突然辞めたのか
末川社長は前田会長から引き継いだはずのバトンを戻す

 旬のタレントを起用した艶やかな広告で「新しい美」を提案する。かつて資生堂は、誰もが憧れるピカピカのブランドだった。突然の社長交代劇で見えた化粧品トップ企業の実情をレポートする。

密かに進められた辞任劇

「『健康上の理由』が辞任理由ですが、体調不良の原因は数字のプレッシャー。それに耐えられなかったのでしょう。まだ就任2年の経営トップであれば、立て直しの陣頭指揮に奮起するべきですが、末川社長は、前田会長や資生堂OBから業績悪化の責任を指摘され、精神的に追い詰められて心身のバランスを崩した。そして、ついに社長業を務める体力がなくなったということです」(全国紙経済部出身の論説委員)

 日本を代表する化粧品メーカー、資生堂の経営トップ、末川久幸社長(54歳)が3月11日、辞任を発表した。

 末川社長は「相談役」に退き、後任には、前社長の前田新造・現会長(66歳)が第15代社長として復帰する。末川社長が'11年に52歳の若さで大抜擢されてから、わずか2年—。

 末川社長本人は退任の理由を、

「体調に不安を感じ、自分で考えて実行したくても体力的に続かない」

 と語ったが、入院の必要まではないという。

 資生堂元副社長で、現在は顧問を務める岩田喜美枝氏にとっても寝耳に水の発表だったという。

「末川社長の退任はマスコミ発表で知り、驚きました。顧問という立場で、日常の経営にはタッチしていないので、今回の件について、状況もよくわからないんです。ストレスで健康を損なわれていたことも知りませんでした。

 そのうち、会長と社長の二人にお会いすることもあるかと思いますので、詳しく話を聞いてみようと思っています」

 顧問も知らなかった今回の社長辞任劇。その裏側でいったい何が起こっていたのか。

 そもそも末川社長は、前田会長の指名を受けて登板した若きエースだったはずだ。にもかかわらず、前田会長自らが社長に復帰することは異例である。

 創業者の孫で、第10代資生堂社長を務めた福原義春名誉会長は、本誌の取材にこう答える。

「事前に(社長交代の)相談があったことは事実です。私は了承しました。

 これからの時期はちょうど経済が転換する局面にあるので、新しい体制で経営にあたったほうがいいのではないでしょうか。今回のことはけっしてマイナスなことだとは思っていません。これを機会にプラスにすることもできるのではないか」

 創業家一族に辞任をポジティブに受け取られるということは、末川社長が経営者として合格点ではなかったということだ。

 若きリーダーとして将来を嘱望された彼の身に何が起きたのか。

 末川社長は3代にわたる〝資生堂一家〟で育った。祖父は資生堂の専務を務め、両親も、そして妻も資生堂に勤めたという。

 国際商科大学(現・東京国際大学)卒業後、'82年に資生堂に入社。福原名誉会長や前田会長のように、資生堂の「主流学閥」を形成している慶應義塾大学の出身ではない。

 縁故入社という周囲の見方を覆すためか、末川社長はがむしゃらに働いた。

 化粧品専門店の営業担当を皮切りに、国内化粧品事業の主要部門を経験。そんななか、マーケティングの分野でその名を知られるカルビーの長沼孝義氏(現・副社長)から仕事哲学を授かる。それは「会社人生を前半と後半に分ける」という考え方だった。「会社人生の前半は自分に投資して、ハームタイムで切り替え、残り半分で結果を出す」というものだ。

 末川社長は会社のパソコンのエクセルに「会社人生」の「カラータイマー」を入力し、自分がどのあたりにいるかを確認しながら、自らに発破を掛けて働いてきたという。

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