『ふたつの震災』その後 【第1回】
遠く離れた町で逝った娘へ

広田半島の太陽崎に立ち、紺色に光る海を見つめる藤田敏則さん

 小高い山の上にあるその場所からは、気仙川の河口と広田湾が正面に見下ろせた。今にも降り出しそうな、どんより灰色に霞んだ風景の中に、あの「奇跡の一本松」も立っている。

 7万本の松原で唯一残った松は枯死してしまったが、復興のシンボルとして復元作業が進む。完成を目前にして、枝葉がもとの角度と異なることがわかり、市役所が作業のやり直しを指示したと、ちょうど昨日ニュースになっていた。

 「あれやね。ここから見てもあんまり違いはわからんけどなあ」

 一本松を指さして小さく苦笑した後、藤田敏則さん(64)はつぶやいた。

 「ここ、いい場所でしょ。高田の海も川も全部、向こうの広田のほうまで見渡せて」

 3月10日午前9時半。岩手県陸前高田市気仙町の龍泉寺で、私は藤田さんと落ち合った。といっても、総門も本堂も大津波に流されて跡形もなく、裏山の急斜面に張り付くような墓地が残るばかりだ。目的の墓は斜面を上りきったところにあった。29歳で亡くなった藤田さんの長女、菊池朋さんが眠っている。

 湾を挟んで対岸に見える広田半島の大陽崎と呼ばれる岬付近で、朋さんの遺体は見つかった。東日本大震災から17日後のこと。津波が襲う直前に駆け込んだ市民会館から、6㎞も離れた海の中だった。

 兵庫県西宮市で育った朋さんは、大学で知り合った陸前高田出身の男性と結婚し、この町に来てまだ2年足らずだった。結婚半年後には、社会福祉士として地域医療に携わってきた経験を生かして市職員となり、高齢者福祉を担当した。

 故郷を遠く離れて築き始めた新しい家庭、仕事、地域のさまざまな行事や人びととの付き合い。この三陸沿岸の町に、これから本格的に根を下ろしていこうとした矢先だった。

「何もないこの町のほうが気持ちが落ち着く」

 朋さんの眠る墓に、藤田さんが手を合わせた。墓石の背後の少し盛り上がった土の下に、遺骨が埋葬されている。法名碑には、旧家らしく330年前からの先祖が並び、末尾に朋さんの名が刻まれていた。命日は「平成二十三年三月十一日」。同じ日付が刻まれた義父と2人の三回忌法要が、まもなくプレハブの仮設本堂で始まる。

 ぽつぽつ落ちてきた雨に急かされるように、藤田さんは再び急斜面を下りて行く。途中、ふと思い出したように、後ろを歩く私を振り返った。

 「分骨してないから、あの子に会うにはここに来るしかなくてね。でも何か一つ手元に置いときたいと思って、知り合いの仏師に小さな観音像を彫ってほしいと頼んだんです。つい数日前に完成図面が届いたんやけど、これがすごく可愛らしい、子供みたいな顔でね。お腹の赤ちゃんのイメージも合わせて描いてくれたんやって」

 朋さんは妊娠4ヵ月だった。娘と、夏の終わりに生まれてくるはずだった初孫を喪ったことを、藤田さんはまだうまく受け入れられない。朋さんのことが「過去」になり得ていない。昨年末に西宮で会った時、こんなふうに話していた。

 「こっち(関西)で生活してると、もう誰も東北のことなんか関心なくて、地震や津波なんか、まるでなかったみたいな空気でしょう。でも高田に行ったら町がまるごと被災地で、僕と同じような立場のご遺族がたくさんおられる。向こうでの娘の生活を知っていてくれる人もいる。だから、あの何もなくなった高田の風景の中にいるほうが気持ちが落ち着くんです」

 黒いスーツの細い背中が仮設本堂に入ってゆくのを見送ると、私は旧市街地へ向けて車を出した。死者・行方不明者が岩手県内で最多の1773人に上った陸前高田市ではこの日、市の追悼式をはじめ、各所で法要が営まれ、1日早い慰霊の日を迎えていた。

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