第10回はこちらをご覧ください。
経済学では、個人は「自分の効用を高めるように合理的に判断して行動する」、企業は「自社の利益を増やそうとする」と考えられています。これが大前提です。そして、そのような個人と企業が「市場」で取引をすれば、「神の見えざる手」が働いて、自然と需要と供給のバランスがとれる均衡点に落ち着きます。
つまり、誰もが自由に買い物、商売をすれば、消費者が買いたいものが買いたいだけお店に並びます。一方の売る側も、その商品を売りたい企業だけが、引き続き商売を続け、みんな納得して取引をします。
自動的にこのような「ベストな状態」になるのです。
こうして自由に取引させることを、「市場にゆだねる」「市場の原理に任せる」と表現します。実際に、日本やアメリカなどが採用している資本主義経済では、ほとんどの取引を市場の原理に任せています。
ただし、すべて市場に任せていれば、何事も問題なくいくかというと、実はそうではありません。ときには、一部の人が自由に取引をした結果、社会全体としてベストな状態にならないこともあります。それを「市場の失敗」と呼びます。
ということで今回のkeywordは、「市場の失敗」、「外部効果」、「外部経済」、「外部不経済」、「私的コスト」、「社会的コスト」です。
「市場の失敗」とは、簡単に言うと「みんなが自由に売買した結果、社会全体で見てベストな状態ではなくなること」です。
何が「ベストな状態」じゃなくなるのかというと、それは「取引量」と「価格」です。
たとえば、商品Aの取引量と価格を考えてみます。仮に、日本全体で考えて、商品Aは「100円で100万個売れるのがベスト」だったとしましょう。通常は、市場の原理に任せていれば、自然と「100円で100万個」売買されます。
でも、市場の失敗が起こると、80万個しか生産されない、もしくは130万個も生産されてしまう、という状態になるんです。また、それに伴い値段も変わります。商品Aが80万個しか生産されなければ、「供給量」が足りず、値段は120円に値上がりします。反対に130万個も生産されると、「供給量」が多すぎて、85円に値下がりすることでしょう。
このように、市場の失敗が起こると、社会全体で見た「ベストな取引量」と比べて、多すぎたり、少なすぎたりしてしまう。さらに、商品の値段も「ベストな価格」よりも安すぎ・高すぎになってしまうのです。
---そもそも、なぜこんなことが起きるのか? 「神の見えざる手」は働かないのか?
ここでは「市場の失敗」を引き起こすものとして、「外部効果」と「公共財」を取り上げて説明します。