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[虎四ミーティング]
木田優夫(石川ミリオンスターズ)<後編>「NPB復帰への思い」

2013年03月22日(金) スポーツコミュニケーションズ

二宮: 木田さんがドラフト1位で巨人に入団したのが、1987年。当時は槇原寛己(82年)、斎藤雅樹(83年)、水野雄仁(84年)、桑田真澄(86年)と、同じ高卒“ドライチ”ピッチャーが活躍されていた時代ですから、プレッシャーも大きかったのでは?
木田: 2年以内に一度も一軍に上がることのできなかったドライチは、僕が久しぶりだったようで、そのことは結構、周りから言われましたね。

二宮: プロのレベルの高さに驚いたことは?
木田: すぐにクビになるとまでは思いませんでしたが、一つひとつのプレーに対する考え方がこんなにも違うものなのか、と驚きました。3つ先輩の水野さんや、1つ先輩の桑田さんたちが話している内容が、僕にはまったく理解できなかった。

二宮: 例えば?
木田: 牽制ひとつとっても、いろいろな意味があるし、バント処理も場面によって動き方が違うとか……。それまで、そんなこと一度も考えたことがなかったので、話についていくことだけで大変でしたね。

二宮: プロに入って2、3年で差がついてしまったと。
木田: いえ、既にプロに入る前から違っていたんだと思います。考えてみれば、水野さんや桑田さんは高校時代、「どうやって日本一になるか」ということを考えていたと思うんです。ところが、僕はというと「甲子園に行けたらいいな」と思って野球をやっていたわけですからね。

二宮: 木田さんは高校時代、一度も甲子園には出場していませんが、あれほど速いボールがあれば、ほとんど打たれなかったのでは?
木田: 確かに僕たちと同じように「甲子園出場」が目標の高校には、それほど打たれることはありませんでしたね。ただ、山梨県内で唯一「甲子園でどうやって勝つか」を考えていた東海大甲府にだけは、真っ直ぐだけしかなかったのもあって、よく打たれていましたよ。

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