被災から2年、壊滅的な打撃を受けた原町火力発電所を再建した東北電力の矜持とは
東北電力原町火力発電所 (以下すべて筆者撮影)

 一日も早く被災地に安定的に電気を届けて復旧・復興を支える使命がある---。

 東日本大震災からほぼ2年の歳月を経た先週14日。筆者は、東北電力が延べ120万の人手と1,700億円もの巨費を投じて、異例の短期間で再建した原町火力発電所を視察した。

 このルポルタージュで一番知っていただきたいのは、原町発電所が福島県南相馬市に位置することである。

 海岸沿いの原町発電所は18mの巨大津波に飲み込まれ、再建を絶望視されるほどの壊滅的な打撃を受けた。

 加えて、わずか26kmほど南には人類史上最悪の原子力事故を起こした東京電力福島第一発電所があり、屋内避難地域に指定されたために被害の特定作業もろくにできないという試練にもさらされた。採算だけを考えれば、何年かかけて、新しい発電所を建てた方がよっぽどおトクだったはずだ。放射能汚染に過敏になった陸運会社から資材の運搬を拒否されるほどの惨状だったのだ。

 それでも、東北電力は、被災地のために早期の電気の安定供給が必要だと判断、あえて困難な修理・復旧という道を選んだ。その心意気には他の電力会社が失っているライフライン(命綱)企業の矜持と使命感が息づいている。

津波の猛威を見せつけるタービンの軸受け

 視察の当日、関東地方は早朝から強風に見舞われた。その影響で、やまびこ129号は定刻からやや遅れて東京駅を発ち、福島駅に辿り着いたのも予定の10分遅れだった。

 福島駅で車に乗り換えて、2、30分ぐらいドライブすると、なんとも寂しい雰囲気の地域に差し掛かった。業務を行っているのは警察署と郵便局、農協ぐらいで、どこまで行っても人影がない。

 辺りは田舎の風情で、都会のように建物は密集していないが、道沿いにはそれなりに多くの住居や店舗、学校が立ち並んでいる。それなのに、生活している人の姿がまったく見られないのだ。

 住宅に目を向けると、カーテンの代わりなのだろうか、白い布が窓に吊るされており、まったく内部の様子を伺うことができない。また、看板を見ると、農機具や園芸用品を商っている店舗のはずだが、肝心の商品が何も陳列されていない様子が外からでも見て取れた。これでは、お客さんどころか、泥棒も訪ねて来ないだろう。奇妙な胸騒ぎのする地域だった。

 ほどなく道路脇の看板にあった「飯館村」という文字を目にして、合点がいった。周囲は、今なお一時帰宅しか許されない「避難指示解除準備区域」で、ほとんどの住民が避難先から戻っていないのである。

 飯館村を通過して、南相馬市に入ると、街は少し活気を取り戻していた。軽い昼食を取って、太平洋沿いの原町火力発電所に辿り着いた。

 気さくな人柄の樋口康二郎所長の案内で事務本館のビルに入った途端、目に飛び込んできたのは、滑らかなはずの表面が剥げ落ちて無残な姿になったタービンの軸受けだった。

 次ページの写真を見ていただきたい。石炭であれ、石油であれ、天然ガスであれ、火力発電所は化石燃料を燃やして沸騰させた高圧の蒸気を利用して、タービンを高速回転させて発電機を動かす仕組みになっている。少しでも摩擦を減らしてタービンを回転しやすくするために、軸受けの表面は滑らかに磨きこまれている。この軸受けの表面も、鏡のように極限まで磨きこまれていたはずである。

 原町火力発電所では一昨年の3月11日、東日本大震災の直撃を受けた時、1号機がフル稼働中だった。地震の揺れだけなら、軸受けがこれほど無残な姿になることはなかったかもしれない。しかし、押し寄せた津波が潤滑油を奪い去ったのだ。

摩擦で無残な姿となったタービンの軸受け

 津波の襲来に備えて、運転を停止する措置をとってはいたものの、巨大なタービンは完全に停止するまで時間がかかる。改めて津波の猛威を見せつける物証に、言葉を失うようなショックを味わった。

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