賢者の知恵
2013年03月19日(火)

「真の改革」を目指す元経産官僚が直言! 停滞の時代を切り開くのは「頑張り」ではなく「やり過ぎ」である

文・朝比奈一郎

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「大義を持ってやり過ぎること」が必要だ

 この3月初旬から、私自身の初の単著となる『やり過ぎる力 混迷の時代を切り開く真のリーダーシップ論』が店頭に並び始めた。

朝比奈一郎氏

 お陰様で、様々なメディアで取り上げられ始めている。これまでの本にありがちな「自己中心的な」切り口(自分の人生をどうするか的切り口)とは大きく異なり、より大局的なマクロ・アプローチで東西のリーダーシップ論を融合したところが受けているようだ。

 逆説的だが、そうした大局的なアプローチこそが、結果として、自分も(社会も)変えていくと思われる。かつて三島由紀夫は「自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど、人間は強くない」という趣旨の発言をしているが、日々、自分のことで精一杯となり、苦境に耐えて「頑張る」のではなく、大義を持って「やり過ぎる」ことこそが、現代日本を生きる私たちに必要なのではなかろうか。

 拙著では、「やり過ぎる力」を多角的に論じた後、そうした力をつけるには、どのような「学び」が重要であるかを述べている。本稿では、私自身の歩みを踏まえつつ、政治・行政を題材に取りながら、「頑張り」を超えた「やり過ぎ」の必要性について考えてみたい。

 私が言う「やり過ぎる力」とは、既存のルールや前例に縛られながらあくせく残業などをして頑張るということではない。そうした「常識」を乗り越えて、一歩踏み出す力のことである。

政治家になっても、世の中を変えられるとは思えない

 今から2年以上前になるが、私は約14年間務めた経済産業省を思い切って退職した。そして退職直後に、日本を再活性化するための組織「青山社中」を立ち上げ、筆頭代表に就任した。具体的には「人づくり」「政策づくり」を生業としている。

 辞職した当時、職場に大きな不満があったわけではない。むしろ、「インフラの輸出」という、当時としては経済産業省の中核とも言える業務を、担当課の総括課長補佐として任されて1年半が経っており、それなりに成果も出していた。上司や部下との関係も円滑で、非常に充実した日々を過ごしていた。

 しかし、その職場を辞めて新たな挑戦をすることは、自分としては非常に自然だったし、今もその選択は間違っていなかったと思う。常識的ではないことは確かであったが。

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