ついに「日銀理論」も風前の灯火! アベノミクス効果で金融資産が増加すれば、消費は確実に増加する!
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 アベノミスクは金融政策のレジーム・チェンジ(体制転換)をしようとしている。その第1弾はインフレ目標の導入。これは日銀に要請し、1月22日に実現した。

 第2弾は日銀人事だ。こちらも11日(月)、12日(火)の参院での意見聴取の後、決まるだろう。リフレ派3人という最強布陣ではないが、国民の期待を著しく損なうものでない。そして第3弾として、日銀人事が人的要因で左右されないように、制度的な担保、つまり日銀法改正が必要となる。

 こうしたレジーム・チェンジにおいては、なかなか変われない人(マスコミ、学者など)もいて、彼らは金融政策におけるアンシャン・レジーム(旧体制)だといえる。これまで20年間も「日銀理論」に慣れ親しんできたので、急には変われないのだろう。

 しかし、この「日銀理論」に真っ向から反論したのが、今回、日銀副総裁候補に政府から指名された、岩田規久男氏だ。私の知る限り、「日銀理論」に最も早く異を唱えたのは岩田氏で、しかも一貫してその姿勢を維持し続けてきた。

「日銀はインフレを管理できない」という日銀理論

 岩田氏は、1990年代はじめのバブル潰しのための三重野日銀の金融引き締め策、マネーストック(金融機関の預金残高総計)の急激な低下を問題視した。それに対して、日銀は猛烈に反論し、日銀はマネーストックをコントロールできないと言い張った。

 結局、植田和男・東大教授が「短期的にはできないが、長期的にはできる」と裁定した。なお、日銀は、従来「マネーサプライ」という用語を使っていたが、「サプライ」できないということで「マネーストック」と名称変更している。

 筆者は、1980年代後半当時、大蔵省でバブル対処のために証券会社規制を行っていて、それと銀行の不動産融資規制でバブル対処は十分だと思っていたし、それらの行為・営業規制の結果、バブルは鎮火したので、その上さらに三重野日銀が金融引き締めを実施するのはおかしいと思っていた。

 だから、当時、岩田氏と話をした際にも大いに賛同し合ったものだ。その後、筆者はプリンストン大学などでインフレ目標や金融政策を勉強し、金融政策の対象になる一般物価は資産価格を含まず、資産価格が上昇しても一般物価が落ち着いているときには、一般的に金融引き締めを行わないと学んだ。

 日本の80年代後半のバブルはまさしくそういった状況だったので、三重野日銀の金融引き締めはやはり誤りだったということになる。もし、90年代初頭に、今のようなインフレ目標2%が導入されていたら、金融引き締めの誤りは明白だっただろう(1月14日付け本コラム「日銀失敗の原点!株式・土地の資本市場だけが価格上昇するバブル退治に「金融引き締め」は間違っていた」)。

 岩田氏の議論を受け入れなかった「日銀理論」とは「日銀はインフレを管理できない」というものである。物価の番人である日銀がインフレを管理できないというのも奇妙なことだ。このほかに、「日銀のやったことは間違いない」という有名な官僚の無謬性もある。この両者が合体すると、高給を保証されながら、その責任は一切負わなくてよい、という、まことに日銀にとっては好都合であるが、日本経済にとっては不幸なものとなるのだ。

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