中国
両岸は一心同体である---王毅・元駐日大使の外務大臣就任で「尖閣問題」は第2ラウンドに突入する!?
〔PHOTO〕gettyimages

 3月5日から始まり、17日まで続く「中国の国会」こと全国人民代表大会で、3月6日午後、日本人には懐かしい顔が登場した。王毅・国務院台湾事務弁公室主任である。この職務は、中国にとって最も重要な「領土問題」である台湾問題を統轄する部署だ。

 王毅主任は、日本人には、元駐日大使(2004年~2007年)と言った方が覚えがいいだろう。あの流暢な日本語と甘いマスクで、日本に幅広い人脈を誇った元駐日大使だ。その王毅主任は3月6日午後、台湾省の分科会に出席した後の会見で、次のように語ったのだ。

 「釣魚島(尖閣諸島)は中国の領土であり、釣魚島の主権を維持し保護することは、両岸の同胞の共同責任である。主権を維持し保護する上で、両岸にはそれぞれの方式があっていい。だがわれわれの態度は確固たるものだ。その目標は一致している。そうでなければわれわれの祖先に対してはもちろん、子々孫々にも申し訳が立たない」

 調べてみたら、王毅主任は、昨年の8月23日にも、次のような発言をしていた。8月23日と言えば、香港の民間団体が、尖閣諸島に上陸した1週間後であり、野田首相が尖閣諸島を国有化する直前である。

 「両岸の民間の立場からすれば、釣魚島問題に関する主張は比較的一致している。この方面の交流と提携も少しずつ展開中だ。これをさらに深めるには、もう少し時間が必要だ。私は、両岸の同胞が領土の主権を維持し保護する問題について、共通認識を持っていると思う。両岸の民間人は多くの一致点に達しており、われわれは当然、この共通認識がさらにもう一歩進むことを希望している」

 私は長年見てきたが、王毅主任は昔から、「私は公務員です」というのが口癖だった。3月6日の会見でも、このセリフを口にしている。ということは、個人的な考えでこのような大胆な発言をすることはあり得ない。すなわち、習近平総書記の意向を「代弁」しているということである。

 そしてその王毅主任が、3月17日に中国の新たな外務大臣に就任するのである。任期は、2018年3月までの5年である。

「中国の親日派代表」から「台湾問題のエキスパート」へ

 王毅氏は、習近平総書記と同じ1953年に、北京で生まれた。文化大革命の影響から、やはり習書記と同じく15歳で農村送りとなり、黒竜江省の最北の地で7年間、重労働を課せられた。その後、10年ぶりに鄧小平が大学入試を復活させた波に乗って、北京第二外大に入学。そこで日本語を専攻し、1982年に卒業した。

 29歳にしてようやく大学を卒業した王毅氏だったが、そこからは順風満帆だった。なぜなら、文化大革命(1966年~1976年)によって、自分の上の10年分の世代が、ごそっと抜けていたため、スピード出世を遂げたからだ。

 そもそも、北京の西三環路の一等地にあるエリート校・北京外大は外交官養成校だが、東四環路の田舎にある北京第二外大は、旅行ガイドの養成校だ。日本人が北京旅行に行って万里の長城に登る時に、旗を持って案内してくれる人たちが、ここの卒業生である。そのため、ここを出て外交部に入省すること自体、本来なら極めて異例なのだが、本人が優秀だったことに加え、「前10年がごっそり抜けていた」ことも大きかったのだろう。

 ともあれ、外交部に入省した王毅氏は、43歳にしてアジア局長に就任。49歳で駐日大使となった。駐日大使時代は、前述のように、流暢な日本語と甘いマスクで多くの日本人士を惹きつけ、「中国の親日派代表」のように振る舞ったのは、まだご記憶にあるだろう。

 そして2007年に日本を離れ、外交部副部長に就任した。その際、北朝鮮の核開発を巡る6ヵ国協議の中国側代表も兼ねた。王毅氏をよく知る中国人は、その頃、次のように語ったものだ。

 「小泉政権の"政冷経熱"時代に駐日大使として過ごした王毅は、『敵国である日本の専門家では、親日派と見られてこの先、出世できない』と痛感した。そのため、苦手な英語を勉強することと、人脈を広げる目的で半年間、ワシントンに留学した。だが帰ってみたら、狙っていた外交部長(外務大臣)を、最大のライバルである楊潔虎に奪われていた。

 当時の胡錦濤総書記は、対米外交を中国外交の中心に位置づけ、外交部ナンバー1の米国通で駐米大使などを歴任した楊潔虎を外相に据えたのだ。だが楊が外相に就けば、外交部に自分は不要である。居場所がなくなった王毅は、次代の習近平が最も関心が高い台湾問題に目を付けて、2008年6月に国務院台湾事務弁公室主任のポストを手に入れた」

 習近平総書記は、かつて17年間も、台湾と海峡を隔てて向かい合う福建省に勤務し、中南海では「台湾問題の専門家」を自認している。王毅氏はそこへうまく食い込んだのだ。実際、習近平が2010年に福建省を視察した際には、全行程に同行しているし、この5年近くにわたって新たに「台湾問題のエキスパート」として、着実にキャリアを積んだのだった。

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