「被災地・福島」から「八重と覚馬の福島」へ---視聴率の良し悪しだけでははかれない大河ドラマの影響力
『八重の桜』公式ページより

 関東17.5%、関西15.9%、そして福島が24.7%---。いずれもNHK大河ドラマ『八重の桜』の第7話「将軍の首」(2月17日放送)の視聴率だ。

 情報網や交通網などの発達により、日本人の画一化と均質化が言われ始めてから久しいが、実はドラマの指向性だけでも随分と違う。

 福岡などの北部九州地区の視聴率を見ると、驚くほど低い。10日放送分の第6話「会津の決意」は10.3%に過ぎず、大人気ドラマの『相棒』(テレビ朝日)に負けたばかりか、『おトメさん』(同)や『夜行観覧車』(TBS)、『とんび』(同)より下だった。理由はいろいろと考えられるが、第一に大河ドラマの位置付けが各地域の視聴者によって異なるのだろう。

 加えて、北部九州ではテレビ朝日系の九州朝日放送(KBC)とTBS系のRKB毎日放送の存在感が大きいせいもあるだろう。とはいえ、あまりにも違い過ぎる。

いまだに拭い去れない幕末の恩讐

 どうやら背景には地域ごとの歴史認識の差異があるようだ。『八重の桜』では、清らかに美しく懸命に生きた会津の人々が描かれ、これから先は悲劇の連鎖に襲われる。その不幸をもたらすのが仇敵の薩長連合を中心とする官軍なのだ。九州、山口の視聴者が複雑な感情を抱くのもうなづける。

 内戦である「戊辰戦争」(1868~1869年)で、薩長は八重たち女性までも苦しめる。東日本の視聴者の多くは八重たちに同情を寄せるはずだが、逆に九州や山口の視聴者はストレートには共鳴できないのだろう。歴史を切り拓いたのが薩長であるのもまた事実なのだから。

 明治維新から約140年が過ぎたが、血戦となった会津と長州の間には今もわだかまりが存在する。1986年には山口県萩市から会津若松市側に友好都市化の打診があったが、会津側が「時期尚早」と固辞。なんとか両地域を和解させようと、2006年には萩市と福島県内の歴史研究家たちによって「萩と会津の友好を考える会」まで立ち上げられた。

 会津と薩摩の関係はより深刻だ。両藩は幕末、手を携えて過激な長州勢を京都から追い落とすが、後に薩摩は長州と組み、会津攻撃に転じるからだ。ここでもやはり市民の有志たちが、どうにか関係改善を図ろうと努めており、2009年には鹿児島中央ロータリークラブと会津若松西ロータリークラブが鹿児島市内で友好の記念植樹を行っている。

 会津と薩長の関係たけが特別なのではない。『八重の桜』では、日米修好通商条約を締結した彦根藩主で大老・井伊直弼(榎木孝明)が、1860年の「桜田門外の変」で尊王攘夷派の水戸浪士たちに暗殺される場面も描かれたが、実は彦根と水戸の間にある対立感情も根深い。

 水戸市長が彦根にある井伊大老の菩提寺を訪ね、ようやく初墓参をしたのは2010年のこと。その前年、井伊大老による「安政の大獄」で刑死した水戸藩士の墓を、彦根市長が墓参してくれたことへのお返しの意味も込められたいた。恩讐はそう簡単には拭い去れないのだ。

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