第23回 山崎種二(その二)
婚礼3日前に留置場へ連行―
その翌月には、株価が「大暴落」して

 大正九年二月十七日、山崎種二は、萩原ふうと結婚式を挙げた。

 種二のプロポーズにたいして、ふうは、柿をむきながら頷き、釘を刺した。

---あなたは、今、お米屋さんで働いてらっしゃる。あなたに娶っていただくのはよいけれど、いつまでも今のままでは、嫌ですわ。ただのお米屋さんの奥さんには、なりたくありません・・・・・・。

 ふうの祖父、山口六平は、新島襄の薫陶を受けたクリスチャンであり、娘二人を神戸女学院に通わせ、長男六兵衛を同志社に入学させている。

 山口家は、かつては真田街道一番の豪商と云われて、蔵を四十棟も抱えていたというが、当主の六平が損得を考えず、公共事業のために家産を傾けたため、山口家は破産同様の身になってしまっていたのである。種二は、山口家の建て直しを担う事になったのだった。

 婚礼は、芝の紅葉館で行われることになった。原敬率いる政友会の面々が、夜ごと集う、東京一の料亭であった。

 しかし、婚姻の三日前、椿事がおこった。

 外米の不正取引の疑いで主人の二代目が警察から呼び出しを受け、代わって出頭した種二が勾留されてしまったのである。

 この一件のきっかけとなった、いわゆる『鈴弁事件』は、大正世相史のなかでも、ひときわ大きな事件であった。

 なにしろ犯人が、農商務省の現役米穀担当技官の山田憲、被害者は横浜の大手外米輸入業者鈴木弁蔵だった。

 鈴木は、山田のもたらす情報をもとに、大きく相場に賭けており、山田は職権を濫用して鈴木から借りた金で相場を張っていた。

 結局、山田は相場で大失敗をし、鈴木は用立てた資金の返済を執拗に要求していたのである。山田は鈴木老人を呼びだし、野球のバットで撲殺した後、死体を切断し、トランクにいれて捨てた。

 鈴弁事件を担当したのは、警視庁監察官の正力松太郎だった。正力は、外米輸入にあたって、官民の不正があると睨み、大手の米穀商を片端から拘引していった。