第22回 山崎種二(その一)
「相場の神様」と呼ばれた実業家―
彼の無一文からの上京物語

 アベノミクスのせいか、株式市場は久しぶりに盛況を呈している。『週刊現代』に、「カネ学入門」を連載している藤原敬之氏も、テレビに、雑誌に引っ張りだこだそうだ。

 残念ながら、私は株券を触った事もないという人間で―父親は、かなり嵌まっていたが―、投資のスリルも、面白さにも縁はない。

 それでも今回、山崎種二をとりあげたのは、山崎という人物が、典型的な、立志伝中の人物であり、また、莫大な財産を持ちながら、美術や学校経営に私財を傾けた人であるからだ。

 その人間像の面白さにより、城山三郎が種二をモデルとした『百戦百勝 働き一両・考え五両』を書き、飛車金八や筆内幸子が、その評伝を書いている。

 明治二十六年十二月八日、群馬県高崎在の山崎宇太郎の長男として、種二は生まれた。
 祖父の代までは豊かで、百姓ながら名字帯刀を許されていたというが、秩父騒動で家産を失い、宇太郎は水呑み百姓になってしまった。

 種二は、生まれつき体が大きく、算えで九つの頃、九文(約二十一・六センチ)の足袋を穿いていたという。

 十一歳から畑に出て、養蚕を手伝い、道普請で稼いだ。そのため年の半分しか学校にいけなかった、という。

 その上、東京に出ていた伯父たちが、大きな借金を作ったために、田畑を差し押さえられてしまったのである。

 結局、米問屋を経営していた、父の従兄を頼って東京に赴いた。

 明治四十一年十一月二十八日、種二は上京した。

 上野駅に着いた時、種二が一番驚いたのは、いろとりどりの、見た事もない果物が、店頭に並んでいた事だったという。

 食べてみたい、と思ったけれど、懐には八十六銭しかなかった。