『世界の特殊部隊作戦史1970-2011』エリート兵と非対称戦争【HONZ】

レビュアー:鰐部 祥平

 日本が最後に経験した戦争は第二次世界大戦だ。召集兵が大規模に集結し、いく度かの大会戦を経て雌雄を決する。日本人が経験し、あるていど皮膚感でわかることのできる戦争は、この当時のままで止まっているように思う。むろんそれは素晴らしいことだ。しかし、時代は移り現代では非対称戦争の時代といわれて久しい。ゲリラ、テロなど目に見えない敵と、何時どこで戦闘になるのかわからない。そんな戦争が世界のあらゆる場所で展開されている。そのような戦場で活躍する者達。それは凄腕のエリート兵で組織された特殊部隊だ。

 特殊部隊が誕生する経緯は国によって様々だ。特に変わった経歴を持つものがドイツのGSG-9。この部隊はミュンヘンオリンピックの人質事件がきっかけで誕生している。ナチスの記憶が生々しかった当時の西ドイツでは、軍国主義を彷彿とさせる組織を過度に敬遠していた。そのために、犯人グループ「黒い九月」に対抗することができなかった。犯人の要求で人質と犯人グループが空港に移動した際に、一般の警察官で対処しようと考えた西ドイツだが、作戦は始まってすぐに破綻し、激しい銃撃戦の末に9人の人質全員が死亡するという散々な結末をむかえた。

 この事件を期にGSG-9は誕生するのだが、軍が特殊部隊を持つことを恐れた西ドイツでは、GSG-9を軍ではなく準軍事組織の連邦国境警備隊に創設したのである。軍人で特殊部隊を目指す者は軍を除隊し、連邦国境警備隊に志願しなおさなければならないという奇妙な状態を生み出した。その後、GSG-9は軍事組織ではなく、警察系の特殊部隊として発展していくことになる。

 この事件で人質を殺されたイスラエルは、特殊部隊サイェレット・マトカル(参謀本部偵察部隊)で犯人グループの母体である、PLOのリーダーたちを一斉に暗殺している。1973年4月に行われた復讐劇の部隊を率いたのがヨナタン・ネタニヤフ。後にイスラエル首相になるビンヤミン・ネタニヤフの兄だ。ヨナタン・ネタニヤフはその後に「エンテベ空港奇襲作戦」でも指揮をとり、戦死している。

 この事件はPFLPのテロリストらがハイジャックを起こし、ユダヤ系の乗客のみを人質に反イスラエル色を鮮明にしていた、ウガンダのエンテベ空港に逃げ込んだ事件だ。ウガンダのアミン大統領はテロリストを包囲するという口実で、空港にウガンダ軍を配置する。だが実際はイスラエル軍の襲撃からテロリストを守るために軍を配備していた。

 実際の戦闘の詳細は本書に譲るが、ウガンダ軍が警備する空港に輸送機で降り立ち、瞬く間に建物を制圧してしまうサイェレット・マトカル。信じられないことに犯人グループが篭る建物の制圧は、はわずか3分で完了している。人質ひとりが死亡。また指揮官のヨナタン・ネタニヤフが敵の狙撃で死亡したとはいえ、凄まじい技術だ。このような芸当は一般の兵士では絶対に不可能だ。ちなみに、この精鋭部隊サイェレット・マトカルの信条「危険を冒すものが勝利する」はイギリスのSASの信条をそのまま流用したものであるそうだ。