「徳洲会=旧自由連合」スキャンダルの背後にある「徳田ファミリー vs "すべてを知る男"」の血みどろの戦い

2013年02月14日(木) 伊藤 博敏
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 この取材の過程で浮上したのが、能宗克行氏だった。問題となった徳田氏のファミリー企業の代表取締役で、徳洲会の秘書室長、自由連合の会計責任者。徳田虎雄氏のスケジュール管理を含め、「すべてを知る男」だった。

 曲折の末、能宗氏は取材に応じ、「裏ガネ6億円をキャスター付きの旅行鞄に詰めて、新幹線で運んだ」という法廷証言にあった話は否定したものの、「ファミリー企業から自由連合への56億円の貸付金」などは認めた。認めるべきは認める姿勢に好感を持った。なにより「能吏の金庫番」として、破天荒な医者であり政治家でもある虎雄氏が、能宗氏を重用する理由もわかった。

 それから10年、その能宗氏は今、虎雄理事長と徳田ファミリーに反旗を翻している。

徳田ファミリーの「聴聞通知書」と能宗氏の「回答書」

 能宗氏は、本来、徳洲会と旧自由連合(11年に解散)と徳田家の秘密を、「墓場まで持って行かねばならない秘書」であり、本人にもその気はあったはずだ。

 しかし、徳田氏が10年前に筋萎縮性側索硬化症を患い、目で文字盤を追って自分の意思をかろうじて伝えられるものの、統率力は低下した。その不足を能宗氏が補ううち、「能宗が徳洲会を私物化している」と疑った秀子夫人と2男5女の徳田ファミリーとの間に、抜き差しならない対立が生じた。

 ファミリーは、弁護士や公認会計士などを使い、徳洲会のカネ、政治団体のカネ、ファミリー企業のカネの動きを徹底的に洗い、「私物化の証拠」を掴んだという。だが、その動きがあった最初の頃は、「波風を立てるな」という虎雄氏の言葉で、収まっていた。虎雄氏は、能宗氏が反撃に転じた時の怖さはわかっていた。

能宗氏が提出した「回答書」
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 だが、ファミリーは執拗だった。「不正の数々が判明。許し難い」として虎雄氏の許可を得たうえで、昨年9月末、能宗氏の事務総長職を解いた。追い打ちをかけるように、懲罰委員会を置き、今年1月21日、12項目の「聴聞通知書」を能宗氏のもとに送った。それに対して能宗氏は、同月29日、「回答書」を作成、懲罰委員会に提出している。

 虎雄氏の恐れは的中した。そのなかに『週刊新潮』が2月7日発売号で報じた、19歳の未成年女性を「泥酔姦淫した」という記事のもととなる情報が、さりげなく入れられていた。姦淫したのは、事件があった05年当時、虎雄氏の秘書だった、息子の毅代議士である。冒頭の結婚式の主役である。

次ページ  そして、当時、「政治とカネ」…
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