第21回 アンディ・ウォーホル(その三)
雑誌の広告収入にTV出演のギャラ―
膨大な土地と「整形手術」に費やした

 一九八四年前後、アンディ・ウォーホルは、『アートの世界のゼネラル・モーターズ』をつくろうとしていた、とウォーホルの愛人だったウルトラ・ヴァイオレットは語っている。ヴァイオレットは、サルヴァドール・ダリによってニューヨークに連れて来られ、ミロス・フォアマンやルドルフ・ヌレエフとも関係を持っていた(『さよなら、アンディ ウォーホルの60年代』入江直之、金子由美訳)。

 ニューヨーク東三十三丁目二十二番地のワン・ブロックを占める五階建てのビルを本部とし、ウォーホルは『社長』として采配をふるっていた。建物は、画家ジュリアン・シュナーベルの友人で、ウォーホルとも緊密な関係をもっていた、フレッド・ヒューズが装飾し、いかにも洗練されていた。

 アンディ・ウォーホル・エンタープライズは、アートを販売するだけでなく、商品宣伝部門もあって、ポンティアック、アブソルート・ウオッカ、電気製品、ワイン、雑誌など、雑多なジャンルの、気前のいい、クライアントを抱えていた。

 エンタープライズは、『インタビュー』という豪華雑誌を発行しており、毎月十万部を売り上げていたし、その広告収入は莫大なもので、毎年二百万ドルの収益をあげていた。

 ポートレートの商売も実入りがいいもので、ポラロイド写真を引き伸ばしてシルクスクリーンにプリントしたものが一枚二万五千ドル、そのまたコピーは一万五千ドルで売りさばいて、年に三百万ドル以上かせいだ。

 さらにウォーホルが初期にとった映画の上映による収入もあったし、テレビに出る時には、一回一万ドルのギャランティを要求した。

 ウォーホルの所有している不動産は、膨大なものだった。

 ロングアイランドの東端、モントークにある二十エーカーの土地。

 コロラド州カーボンデール近くの四十エーカー。グリニッジ・ヴィレッジのグレート・ジョーンズ通り五十七番地のビル、レキシントン・アヴェニューのタウンハウス。東六十六丁目五十七番地のタウンハウス・・・・・・。

 そして、美術品、家具、骨董、宝石、金製品、装飾品を買い集めていた。

 一九八六年十二月二十九日、ウルトラ・ヴァイオレットは、ウォーホルと再会した。

 彼は競売場から出てきたばかりで、ボディガードや取り巻きに囲まれながら、戦利品を車のトランクに詰めているところだった。

「たくさん買ったのね」

 ヴァイオレットが声をかけると、ウォーホルは、「うん、とても安いんだ。五割引なんだよ、クリスマスの贈り物さ」と云った。

 そうしてヴァイオレットのスナップを撮影した後に、「写真を撮ってもいいかい? 君はとてもきれいだよ」と云う。

 写真はすでに撮られていたが、ウォーホルのお世辞は嬉しかった。

「ぼくは体じゅうに水晶をつけている」

 彼の顔には、張りがあった。

 いったい何回整形手術をしたのだろう。

 どれだけのシリコンを打てば、こんな肌艶が出るのだろうか。

 はじめて整形手術をしたのは、狙撃事件の後だった、という話を、ヴァイオレットは思いだした。

「具合はどう?」

 ウォーホルは、答えずにポケットから多角形の水晶結晶板を一握りとりだし、一つ獲るように勧めてくれた。

グレース・ケリー展にて '84年、ウォーホル(写真左)は モナコ王妃、グレース・ケリーを描いた 展覧会を開く。写真右は 彼女の弟、ジャック・ケリー氏

 白っぽいピンクがかった石を、ヴァイオレットは選んだ。

「ぼくは体じゅうに水晶をつけている」

 その頃は、再び水晶が治療剤として流行していた。

「ねえ、ウォーホル舌を見せてよ」

 ヴァイオレットの頼みを、ウォーホルは聞き入れてくれなかった。

 意地悪な気分になったヴァイオレットは云った。

「あなたが、リベラーチェとキスをしていなければいいけれど」

 リベラーチェは、派手なコスチュームで人気を博したピアニストで、大衆相手のエンターティナーながら、パデレフスキーに賞賛されたというテクニックの持ち主だった。

 ウォーホルとはきわめて親しく、同性愛のパートナーだった。

 この頃、リベラーチェはエイズを発症し死の床についていたのである。

 ウォーホルの凍りついた顔を見て、ヴァイオレットは悪い事をした、と後悔した。

 一九八七年二月二十二日、アンディ・ウォーホルは死んだ。

 胆嚢手術のために入院していたニューヨーク病院で、一人で死んだのだ。

 四月一日に、ニューヨークのセント・パトリック聖堂でアンディ・ウォーホルの追悼式が行われた。

 自分が心から、ウォーホルの冥福を祈るなんて・・・・・・ヴァイオレットは、不思議に思った。

 オリヴィエ・メシアンの『イエスの不滅を讃えん』がかなでられる。

 美術批評家のジョン・リチャードソンが登壇し、ウォーホルを讃えるスピーチをした。凡庸なスピーチだった。

 次いで黒一色に身を包み、セミダークのサングラスをかけたオノ・ヨーコが登壇した。
「あまりに多い人たちに、ウォーホルはとても個性的なやり方で触れてきました・・・・・・」

 ヨーコの言葉に、ヴァイオレットは共感した。そう、私の人生も、ウォーホルに触れられたところからはじまったのだ。

 六〇年代から、追いつづけていた「ポップアートの世界」から、ついに私は離れられる・・・・・・ヴァイオレットは悟った。

『週刊現代』2013年2月16・23日号より