テレビ放送開始60周年を迎えたいま、テレビ報道に求められるのは視聴率以外の座標軸ではないか

 今年はNHKと日本テレビのテレビ放送が始まって60周年。これを記念して、『60番勝負』と題した共同制作番組が2月1日と2日の深夜に両局で放送される。

 1925年からラジオ放送を開始していたNHKが、時代の要請でテレビ放送も始めたのは1953年。アメリカは戦前からテレビ放送を始めており、公共放送のNHKがテレビに進出するのは当たり前の話だった。

 半面、今から考えても驚くべきは民放の日テレも同じ年に立ち上げられたこと。敗戦から8年後、スポンサーになれるような企業がろくになかった時期。それはひとえに初代社長でオーナーだった故・正力松太郎氏による無類の政治力と資金力、調整力に尽きるだろう。

テレビ60周年はお祭りムード一色ではない

 元警察官僚だが、皇太子殿下(後の昭和天皇)が狙われたテロ「虎ノ門事件」(1923年)の責任を取り辞任すると、読売新聞を買収。その後はプロ野球・巨人軍を旗揚げした。日テレ創業後は原子力委員会の初代委員長にも就任した。

 民放の父はプロ野球の父でもあり、原発の父でもあった。別名「大正力」。その人物評や功罪は別としても、混沌期でなければ現れない傑物だろう。

 正力氏がテレビのパイオニアであるという強い自負を持っていたことは、日テレの歩みを振り返るだけでも窺える。1953年には街頭テレビを設置し、翌1954年からは力道山のプロレスを中継。普及に躍起となる。敗戦の傷が癒えない時期に、力道山が外国人レスラーたちを粉砕したのだから、視聴者がカタルシスを感じるのは当然であり、よく考えられていた。

 日テレのカラー放送開始は1960年で、NHKより先。海外映画の吹き替え版放送を始めたのも日テレ。黎明期のテレビは今より競争が熾烈だった。視聴率争いだけでなく、プライドを賭けた争いがあった。売り上げ争いより技術革新に燃えていた同時期の自動車、家電メーカーと似ていた。

 そんな日テレは今年からロゴを刷新した。日テレの「日」を「0(注・真ん中に射線)」と表記したのは、もう一度ゼロからスタートする意気込みだからなのだそうだ。なるほど、テレビ局は時間単位で動いており、60進法。59分の次は60分で一区切り。60周年を「還暦」としないところが、常に時代の先端を行こうとするテレビマンらしい。

 とはいえ、長引く不況などの影響で、民放の将来は決してバラ色ではない。片やNHKも世論を受け入れる形で昨年10月に受信料を値下げし、その分、製作費や職員の給与が引き下げられた。やはり左団扇の状態ではない。

 テレビ60周年はお祭りムード一色ではなく、テレビがメディアの王者であり続けられるかどうかが問われる節目の年になるはずだ。

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