尖閣、竹島「奪還」運動をする人々の「情熱と孤独」 ~中国・韓国「ネット愛国者」を訪ねて~ 【前編】安田浩一(ジャーナリスト)

2013年01月29日(火) g2
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 「軍の車を止めるとは何事だ!」

 怒鳴り散らす軍人を前にして、それでも洪はひるまなかった。

 「軍人ならばルールを守ってください」

 激昂した軍人は洪の胸倉をみ、殴りつけようとした。

 「やめろ!」。大声をあげてそれを制したのが、ジープの後部座席に座っていた朴正熙だった。当時の朴は陸軍少将。サングラスをかけた朴少将は、穏やかな口調で洪に問うた。

 「君の名前を教えてくれ」

 洪が名を告げると、朴少将は自らも名乗り、「キミが正しい。原則的であることは大事だ」と洪をほめ讃えた。以後しばらくの間、原則少年と維新少将との間で文通が続いたのだという。

 「菓子を私の家まで贈ってくれたこともあった。朴正熙は偉大な人物だよ。彼が大統領であった期間こそが韓国の栄光だ。外国にも共産主義者にも毅然とした対応を見せることができた」

 洪は懐かしそうな表情を浮かべて強調した。

 向き合って話をしているぶんには、洪は穏やかだ。「日本は清潔で美しい国だ。国民のマナーも素晴らしい」とリップサービスも忘れない。

 だが、洪を団長とする活貧団の活動は、実は相当にハチャメチャな歴史で彩られている。

 2001年。歴史教科書問題(*2)に抗議するため、日本の首相や天皇に短刀、垢すりタオルなどを送りつけた。短刀は韓国人の怒りを、垢すりタオルは「軍国主義の垢を洗い落とせ」という意味を込めたという。

 そしてその品が開封もされずに返送されると、洪ら活貧団のメンバーは日本に出向き、文部科学省前で抗議活動を展開した。たまたま居合わせた右翼団体と口論になると、洪は日の丸の旗にライターの火を近づけ、「燃やすぞ!」と脅した(「逮捕されるのがイヤだった」ため、実際には火をつけなかったらしい)。

*2) 日本の歴史教科書の記述をめぐっては1990年以降、主に韓国、中国との間で国際問題に発展することが多い。特に両国から批判の対象となるのは第二次大戦中における日本の植民地支配の評価や、記述の分量など。2001年には『新しい歴史教科書』(扶桑社)が「植民地支配を正当化するもの」だとして中韓両国から強い反発を受けた。
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