第19回 アンディ・ウォーホル(その一)
身のまわりの物を芸術作品に仕立てる
「ポップ・アート」で莫大な収入を得た

「ポップ・アート」という言葉を識ったのは、十四歳の時だったと思う。

 東京の大丸百貨店でウォーホルの回顧展が開かれたのだった。

 丁度、前後して、池袋の西武百貨店では、フリードリヒ・シュレイダー・ゾンネンシュターンの展覧会が開かれていた。

 ポップ・アートとアウトサイダー・アートの巨匠の展覧会が、東京の二つの百貨店で催されていたというのは、なかなか凄い事ではないか、と思う。

 現在のように、先鋭的な現代美術が各所で展示されている、というような時代ではなく、美術といえば泰西名画という時代に、よくもこんな展示をしたなぁ、と今さらながらに感心してしまう。

 アンディ・ウォーホルは、一九二八年八月六日、ピッツバーグに生まれた。

 ウォーホルの伝記作家であるフレッド・ローレンス・ガイルズは、ウォーホルがいつの間にか自分の生地をピッツバーグから「動かして」マッキーズポートにしてしまったと、記している(『伝記 ウォーホル』)。

 マッキーズポートは、製鉄所と肉体労働者の町で、映画『ディア・ハンター』の舞台に似ているという。ウォーホルは、こうした操作に長けており、「動かし」たり「ずらしたり」する事を、生涯を通して大いに楽しんだ。

 カーネギー工科大学で美術の学士号を取得後、ニューヨークに赴き、イラスト、ファッション広告、レコードジャケットなどを手がけるようになった。

 まだ、高名になる前の一九五〇年代のインタビューで、ウォーホルは、ジェラード・マランガに応えている。