安倍政権は民主党政治の3年3ヵ月を「仕分け」せよ! 民主党の置き土産であっても、意味のあるものは引き継ぐことが重要だ!
〔PHOTO〕gettyimages

 霞が関と永田町の風景はすっかり3年3ヵ月前に戻った。

 「脱官僚依存」を掲げて各省庁の意思決定プロセスを根本から変えた民主党が去ると、誰が指示をするでもなく、すべてが元に戻ったのである。「政治主導」の象徴だった政務三役会議も官庁から姿を消した。

 副大臣や大臣政務官に就いた自民党議員はみな、政権に返り咲いたことで上機嫌で、「よきに計らえ」とばかり官僚任せになった。霞が関の官僚たちもイキイキとした表情で、自分たちの政策ペーパーを大臣室に運んでいる。まるで民主党政権など存在しなかったかのような光景だ。

 議員会館の様子も変わった。民主党は原則として個別議員への陳情を禁じ、幹事長室に一本化していたから、議員会館の受付は空いていた。それが自民党が政権に復帰してから、長蛇の列が見られるようになった。業界団体や地方自治体からの議員への陳情が戻ってきたのだ。民主党が批判し政権交代の原動力になった「政官業の癒着」も、再び戻ってくるのだろうか。

道半ばで行き詰った民主党政権の「官僚排除」

 これが選挙によって国民が示した意思なのだろうか。すべて元の木阿弥にする事が、国民の望んでいる事なのか。「脱官僚依存」も「政治主導」も、「政官業の癒着打破」もひと時の熱病のようなもので、国民はもうどうでもいいと思っているのか。3年3ヵ月の民主党政権には、確かに失望させられたかもしれないが、すべてを否定してしまって良いのだろうか。おそらくそうではあるまい。

 民主党が政権を取った2009年夏。霞が関には緊張が走っていた。事務次官全員に辞表を出させるのではないか、という噂が駆け巡っていたのである。官僚が政策をほしいままにしている状況を一気に変える。政府に入っていった民主党議員たちもそう意気込んでいた。

 真っ先に行ったのが事務次官会議の廃止と事務次官の記者会見禁止だった。明治以来続いていた事務次官会議は、慣例で閣議案件を事前了解することになっていた。つまり全次官が了承しなければ閣議案件にはならない仕組みができあがっていたのだ。その会議を民主党は真っ先に廃止した。

 次官会見も廃止し、その代わりに大臣や副大臣が定例会見することとなった。政治家が了承する前に、あたかも決まったかのように次官が省の方針を語るのは許されない、という趣旨だった。

 そして設けたのが政務三役会議である。大臣と副大臣、大臣政務官の政治家三人が、省の方針を最終決定することにしたのだ。大臣によっては次官の出席を禁じたり、出席してもテーブルには着かせず、後ろの席で傍聴させるだけにした。政治家がすべて決める「政治主導」を形で示したわけだ。

 だが、このような「官僚排除」のやり方は民主党政権の間に行き詰まった。菅直人内閣になると「事務次官連絡会議」が生まれ、事務次官会議の復活ではないかと言われた。政務三役会議にも官僚が出席し、意見を言うようになった。

 菅氏も財務大臣になったばかりの頃は役人の説明は聞かないと言い張り、政務官など政治家だけの説明を聞いていたが、それも徐々に崩れていった。仕事が回らないからである。そして少しずつ官僚依存になっていった。野田佳彦内閣は官僚の言うことを良く聞くとして霞が関でも評判が良かった。

 民主党は政権交代前、「政治主導」の具体的な方法を検討していた。100人規模で政治家を役所に送り込むというのも構想の1つで、政務三役会議はその象徴でもあった。年金問題などを追及してきた長妻昭氏が厚生労働大臣に就いたが、初登庁の際に出迎えた職員が誰ひとりとして拍手をしない異常な光景となった。

 大臣室に陣取った長妻氏は役人の説明を信用せず、自ら電卓を片手に資料を検証する姿が報じられた。あたかも政治家が官僚の仕事をやっているように見えたものだ。民主党政権発足時に『日経ビジネス』が行ったアンケートで、最も期待が高かった大臣は長妻氏だったが、わずか1年で厚労省を去った。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら