読書人の雑誌『本』
「冤罪死刑」著:緒川怜
JAL123便、そして冤罪

 一九八五年八月十二日夜、成田空港旅客ターミナル内にある通信社の支局は、お盆休みのどこか弛緩したような空気が漂っていた。それを一気に吹き飛ばしたのは、テレビ画面に映し出された「ジャンボ機の機影がレーダーから消えた」という速報のテロップだった。

 支局には、たまたまJALの広報担当者が顔を見せていた。彼が社に問い合わせたところ、123便として羽田から大阪に向かっていた当該機から「R5ドア、ブロークン」という連絡がカンパニーラジオ(社内無線)であったということだった。客室最後部の右側にあるドアが壊れたという意味である。まるで訳が分からなかった。客室ドアに不具合が生じただけで、ボーイング747が墜落するはずはない。123便に何が起きたのか?

 それから約一週間後、わたしは、まだ遺体収容も完了していない事故現場にいた。

 無論、現在のように登山道など整備されていない。現場に近づくと事故機の残骸を利用した〝階段〟がつくられており、慣れない山登りですっかり息の上がったわたしを自衛隊員が引っ張り上げてくれた。入社四年目の駆け出し記者がそこで何か大した仕事をしたわけではないが、現場上空に飛来した遺族を乗せたヘリコプターから、白い花束がくるくる回りながら落ちてくる様を、今でもよく憶えている。

 事故現場は、斜度が三十五度ぐらいある急峻な斜面。焼け焦げた「JAL」と書かれた主翼の上に坐ってしばし疲れた足を休めていると、目と鼻の先で陸上自衛隊の大型ヘリが離着陸を繰り返す。五百二十もの人命を奪った山は雑菌だらけだった。

 ヘリの回転翼が起こす強風で舞い上がる汚染された土壌を口や鼻から吸い込んだ身体は感染症にやられ、出張から戻ると喉が腫れ上がり、唾を飲み込むこともできなくなった。二日間、抗生物質の点滴を受けて、ようやく回復した。

 
◆ 内容紹介
三年前に発生し、犯人逮捕で決着したはずの誘拐殺人事件。だが、その裏側には、あまりにも多くの嘘や裏切り、保身や売名、腐敗や汚職があふれていた。ともに東京拘置所に収監されている死刑確定者と、勾留中の刑事被告人の間にはいかなる接点があったのか。事件を洗い直すべく動き出した通信社記者と女性弁護士は、次々と意外な事実に突き当たる。そして、取り返しのつかない死刑執行の後で、事件の様相は180度転回する。