第18回 勝新太郎(その三)
喧嘩、借金、逮捕。あらゆる「波乱」と「破綻」に、晩年を費やした

座頭市』シリーズ全二十六作、『悪名』シリーズ全十六作、『兵隊やくざ』シリーズ全九作、といった一連のヒット作の他、七十本ほどの映画と、多数のテレビドラマ、舞台を務めた勝新太郎は、やはり昭和を代表する俳優であり、演出家であり、プロデューサーであった、と云う事が出来るだろう。

 その人気は国際的なものであり、香港、台湾でも座頭市は多くの観客を集めた。クエンティン・タランティーノが、ティーンネージャーの頃からのファンだった事は有名だ。タランティーノの作品『キル・ビル』は、勝に対する、破天荒なオマージュとも云うべきものだろう。

 とはいえ、その人生はけして平坦なものではなく、自ら破綻を買って出たような、波乱を常態とするような道を歩んでいる。

 昭和五十四年、勝新太郎は、黒沢明監督の『影武者』の主役に抜擢された。

 東宝砧撮影所での、黒沢、勝の関係は、きわめて良好だったという。勝がスタジオ入りする前に撮ったラッシュを黒沢は披露し、勝もその出来映えに感心していたという。

 それが一体全体、どうして勝が降板する事になったのか。

 一般的に伝わっているストーリーは、以下のようなものだ。

 勝が、自分の演技を記録するため、ビデオカメラを現場に持ち込んだ。それを見た黒沢が、「僕の事を信用できないんですか」と責めると、勝新太郎は、スタジオを出て行ってしまった・・・・・・。

 勝をよく知る作家・市山隆一は、この衝突の原因をプロデューサーの不在、あるいは機能不全によるもの、と理解している。『影武者』は東宝の大プロデューサー、藤本真澄の企画で、勝にも、この作品だけはやって貰いたい、といって口説いたという。

 勝は、藤本の熱意に報いるつもりだったが、藤本が急逝したため、黒沢と勝のパイプ役がいなくなってしまった・・・・・・ビデオカメラの持ち込みといった些末な事ではなく、両雄を並びたたせるだけのプロデューサーが、東宝にはいなかった、と(『私論・勝新太郎』)。

 たかが、ビデオカメラの持ち込みくらいで勝と黒沢が拗れるだろうか、という市山の疑問は、勝に親炙した人であればこそ、の真相を穿っているように見える。