浜田宏一「教え子だった白川方明日銀総裁はどこで道を誤ったのか」『アメリカは日本経済の復活を知っている』より第1回

2013年01月18日(金)
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 しかし、実際には……。

 白川総裁には、何度となく落胆させられた。彼は出世への道を進むと同時に、世界でも異端というべき「日銀流理論」にすっかり染まってしまっていったのだろう。「日銀流理論」とは何か? 畏友の早稲田大学若田部昌澄教授が二〇〇八年に書いた原稿から引用しよう。

〈私のみるところ、それは「一連の限定句」、平たくいうと「できない集」である。つまり、原則として日銀は民間の資金需要に対して資金を供給しているので物価の決定についても限定的であり、とりうる政策手段も限定的であり、政府との協調関係も限定的であるべきというものである。たとえば長期国債の購入によって貨幣供給量を増やすということは、それが財政政策の領分に入るので禁じ手であるとされる〉(「PHPビジネスオンライン衆知」)

 なぜ、白川氏は「日銀流理論」に染まってしまったのだろうか。組織のなかで生きると、無意識のうちにそうなってしまうのか。いや、むしろそうしなければ、彼が総裁になることは不可能だったのかもしれない……。

 日銀という組織で生きるため、日銀の昔からの政策観やしきたりに無理に合わせようとしてきたのではないか。あるいは、経済学の学習者として経済論理をつかむ力と、事態に応じて臨機応変に、しかも自分の責任のもとで国民のために経済政策を司る力には違いがある、と考えることでしか、彼の変貌は理解できない。

公開書簡で送ったメッセージ

 白川氏の変貌、その予兆は以前からあった。二〇〇一年、私が内閣府経済社会総合研究所所長という立場で、経済財政諮問会議に陪席していたときのことだ。

 当時の日銀総裁・速水優氏の補佐役として、白川氏は会議に出席していた。当時の役職は、日銀の審議役である。

 会議の席で、ゼロ金利解除等、速水総裁の政策に対して疑問を投げかけた私は、白川氏と個人的に会う約束もした。彼が、無謀ともいえる速水総裁の政策に、本音の部分では反対だと思っていたからだ。二人で議論をすれば、互いの理解も深まるのではないかと思われた。

 だが、このときすでに白川氏は、「日銀流理論」の信奉者になっていた。議論は噛み合わず、それどころか真っ向から対立した。当時の私の秘書によれば、所長室を出ていく白川氏は顔面蒼白だったという。

 なぜ、こうなってしまったのか。あの優秀で実直な学生だった白川氏が、「日銀流理論」に、無謀な政策に、異を唱えないのか。白川氏が総裁になってもなお変わらない日銀に、そして何よりも彼の仕事ぶりに落胆し、日本経済の未来を憂えた私は、公開書簡という形で彼にメッセージを投げかけた。

 東洋経済新報社から二〇一〇年に出版された、若田部氏、勝間和代氏(経済評論家)との共著『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』に載せたこの書簡で、私は白川氏に向けて以下のように書いている。

 
―連続インタビュー・浜田宏一×安倍晋三―
「官邸で感じた日銀、財務省への疑問。経済成長なしに財政再建などありえない」
 ■貨幣について国家としての戦略的な思考が必要だ
 ■経済金融の世界における外交的戦い
 ■政策の不備、無知がデフレ、円高を呼んできた
―安倍晋三インタビュー・解題― 
「いかにすぐれた政策も、実現するためにはリーダーシップを持つ政治家が肝要だ」
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