古賀茂明 「体罰で自殺? 教育委員会と市長の責任」
「古賀茂明と日本再生を考えるメールマガジン」Vol.049 日本再生のためにより
【「古賀茂明と日本再生を考えるメールマガジン」Vol.049 目次】
―第1部― 日本再生のために
 ■1.体罰で自殺? 教育委員会と市長の責任
 ■2.教育委員の罷免と過去の調査の再調査を外部の手で
 ■3.許される体罰はあるのか?
 ■4.体罰を止められなかった組織文化への反省
 ■5.手抜き除染は起こるべくして起こった
 ■6.アベノミクスと公共事業と規制改革
 ■7.郵政人事と日銀総裁人事の危うさ、そして「消えた」公務員改革と行革
―第2部― 読者との対話
 ■皆さんからいただいた質問やご意見へのコメント

1.体罰で自殺?教育委員会と市長の責任

教師が加害者という「あってはならない事件」

 新年早々悲しい話題を取り上げなければならないのが残念だが。

 大阪市立桜宮高校で体罰を受けたバスケットボール部のキャプテンの男子生徒が自殺していたことが明らかになった。同校はバスケットボール部強豪校として知られていたが、その影に部活顧問の日常化した体罰があったと見られている。

 このところ、いじめの問題が大きくクローズアップされてきたが、今回は、生徒同士の問題ではなく、教師が加害者となるという点で全く異なる事件である。子どもをあずかり育てる責任を負った側が子どもの命を奪う一因を作るという、あってはならないことが起きた。

 橋下徹大阪市長は、校長と教育委員会を厳しく糾弾し、自ら直接陣頭に立って原因究明を行う方針を明らかにしている。当然のことだ。

 今回の事件では、一昨年の秋に体罰に関する内部通報があったにもかかわらず、それに関して行われた調査で、被害者側である生徒に聞き取りを行わず、加害者側である教師たちに調査しただけで、体罰はなかったという報告を行ったというから、明らかに隠蔽しようとしたことが疑われる。生徒に丁寧に調査をしていれば、確実に体罰の事実は判明し、今回の事件は未然に防げたはずだと考えると、学校側の責任は極めて重大だと言わざるを得ない。

2.教育委員の罷免と過去の調査の再調査を外部の手で

 今回の事件では、教育委員に辞任を求めてもよいと思う。教育委員には、強力な身分保障があるが、明らかな職務怠慢であり、尊い人命を失う一因となったのだから、辞任は当然ではなかろうか。自ら辞任しないのなら、市長が罷免する(辞めさせる)しかない。

『地方教育行政の組織及び運営に関する法律』というものがあるが、その第七条では、地方公共団体の長(この場合は橋下市長)は、「職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認める場合」に、議会の同意を得て、委員を罷免することができることになっている。一定の事実関係の究明が終わった段階で議会に罷免に同意するように求めてはどうだろうか。それくらい重大な問題だと思う。

 そして、もう一つ、・・・・・・(以下略)

何のための教育委員会なのか

 さらに、そのようないい加減な調査を受け取りながら、漫然とそれを了承していた教育委員会はそれと同等かそれ以上の責任を問われてしかるべきだろう。学校の現場では、どうしても不祥事は隠したいという風潮があるのは周知のことだ。特に、バスケットの強豪校にとって、バスケ部での不祥事となれば、大会出場辞退ということにもなりかねず、それだけは避けたいという心理が強く働く。

 だからこそ、教育委員会という第三者的な組織の存在意義があるのだ。学校からいい加減な調査が出てきたら、直ちに教育委自らが、調査をやるくらいのことができなければ、その存在意義はないだろう。・・・・・・(以下略)

4.体罰を止められなかった組織文化への反省

 こうした事件が起きるたびに我々が感じるのは、個人個人では悪いと分かっていても、組織の中ではなかなかその正論を主張できない人が多いという悲しい現実だ。おそらく桜宮高校の中では、内部告発を待つまでもなく、この顧問による体罰は良く知られていたはずだ。しかし、目覚しい成績を挙げているこの教諭に対して厳しく指導することは校長でさえできなかった。

 長年続いている慣行や相手が時の権力者となると、日本では、それに逆らうようなことを言う人間の方が、正論だとしても、逆に村八分にされてしまうという傾向がある。そして、ひとたび問題が起きると、加害者側についていた人達が手のひらを返したように批判する側に回るのである。

 また、体育系部活の世界では、こうした問題は程度の差こそあれ、かなり広い範囲でまだ残っていると言われる。そこにも、組織のあり方の問題が横たわっている。

 体育科の教師の枠が実は先輩後輩のコネで埋められることは良く知られている。言わば、教育の私物化である。また、校長も体育科の教師は他の教師とは違う扱いをすることが多いという実態もある。今回の事件では、おそらくそうした弊害が極限に達し、顧問とその後輩である副顧問によるバスケ部帝国のようなものができ上がっていて、そこに君臨する顧問教諭には誰も本気で注意したり、指導したりすることができなかったのではないか。・・・・・・