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ホンハイ、エイサー、ファーウェイ日本企業粉砕!アジア昇龍企業のカリスマ創業者に学べ
郭台銘 鴻海精密工業(ホンハイ)
シャープを翻弄する「台湾ドリーム」の体現者
売上高▶約10兆125億円
本社    台湾新北市
設立    1974年
従業員    100万人以上
売上高・従業員はグループ全体の数字/売上高は2011年度のもの/
1台湾ドル=2.9円で換算/1元=13円で換算/1億円未満は四捨五入

 赤字経営に陥ったパナソニック、シャープを尻目に、業績を伸ばし続けるアジアの「昇龍企業」がある。台湾・中国のカリスマ創業者たちはどんな戦略で、日本の大手電機を凌駕するまでに至ったのか---。

 昨年、「シャープの命運を握る男」として日本で一躍その名を売ったのが、台湾のEMS(電子機器の受託製造サービス)大手の鴻海精密工業の創業者、郭台銘会長(62)である。

(国内大手各社の数字は‘12年3月期)

 同社は昨年3月、経営難に陥ったシャープの株式9.9%を買い取る形で出資する交渉に入った。まさに、日本企業を呑み込むアジア昇龍企業の象徴的事件だ。が、周知の通りその後の交渉は難航している。郭会長が8月に来日した際には、大阪で予定していた記者会見場に日本のメディアを招きながら、交渉がうまくいかなかったのか、出席をドタキャンして台湾に帰ってしまう傲慢ぶりを見せつけた。帰国後には、「両社の成功のためには(鴻海が)経営に関わる必要がある」と、あくまでもシャープへの経営参加を求めるなど、シャープを揺さぶっている。

前妻の死後、ダンスの教師だった曽馨瑩さんと結婚した郭氏。24歳年下で話題に

 鴻海は、「iPhone」など米アップル製品の生産の大部分を担っていることで知られる。シャープとの提携の背後にアップルの意向を指摘する声もあるが、日米の有名企業を相手に立ち回る郭氏の素顔は「質素」「ハングリー精神」「自信家」の三つのキーワードで読み解くと分かりやすい。

 一代で築いた鴻海の急成長ぶりは凄まじい。'02年に2578億台湾ドル(約7500億円)だった連結売上高は、'11年には3兆4526億台湾ドル(約10兆円)と9年で13倍以上に拡大し、日本の電機最大手の日立製作所と肩を並べる(図表参照)。本社は創業時から新北市土城区に置くが、生産は中国をはじめ欧州やインド、メキシコ、ブラジルなど世界各地で行っている。拠点の中国では、20ヵ所以上の工場を持ち、従業員は100万人を超す。

 M&Aを繰り返し、各国の企業や工場を吸収してデジタルカメラやパソコン、液晶テレビなど新しい分野に次々と進出してきた。飛躍のきっかけは、アップルが'01年に発売した「iPod」の製造を任されたことだ。後述するが、郭氏の「ケチケチ」なビジネススタイルが、低コストをゴリ押しすることで有名なスティーブ・ジョブズを満足させたのである。それ以来、鴻海は「iPhone」や「iPad」の生産も引き受け、アップルの躍進と足並みを揃えて事業を拡大した。このように版図を急拡張する姿から、「現代のチンギス・ハン」とも呼ばれる。

ケチぶりに労働者暴動も

 郭氏の父は中国山西省出身で1949年、国共内戦に敗れた国民党とともに台湾に移ってきた。父は警察官だったが、一家は決して豊かではなかった。郭氏は大卒後就職した海運関係の会社をすぐに辞め、23歳だった'74年に友人と起業した。自身の出資分10万台湾ドル(当時のレートで75万円)は母に無尽講で調達してもらった。80㎡ほどの工場を借り、従業員15人で白黒テレビのつまみの製造を開始。だが経営は苦しく、義父から新たに借金して事業を続け、'81年にコネクター製造に乗り出してからようやく軌道に乗る。

 こうした家庭環境で質素な生活になじんだからだろう、郭氏は億万長者になった今でも麺や水餃子、マントー(中国式蒸しパン)など庶民的な食べ物が好物だ。散髪は中国の工場内にある料金5元(約65円)の従業員用理髪店で済ませることもあるという。日本滞在中は、テイクアウトした牛丼を好んで食べた「ケチぶり」が話題を呼んだが、郭氏にすれば、いつものスタイルを貫いたに過ぎない。

(左)郭氏が購入したとされる超高級マンション。新北市淡水区紅樹林登輝大道にある
(右)鴻海の工場にある従業員の寮。通常、一部屋に二段ベッドが3~4台置かれている

 企業経営にもそうした志向が反映されている。いち早く労働力の安い中国に進出し、低コスト生産による高い競争力を身につけた。同社の従業員管理は厳しい軍隊式で有名だ。中国や香港のメディアは、工場では私語を禁止し、トイレの時間も制限していると伝える。従業員は約1m2の作業スペースが自分の持ち場で、残業を加えると一日の労働時間は16時間にも及ぶ。作業の合間に食事と洗濯を済ませ、後は工場内の宿舎で寝るだけだ。まるで工場の一部品のような扱いだ。結果、'10年には広東省深圳の工場で、10代~20代従業員計13人が飛び降り自殺を図り(うち10人死亡)、社会問題になった。

 郭氏は事故直後、現地メディアに対し、「40万人以上いる従業員の割合から見て9人の死亡は多くない」(編集部註・発言当時の死亡者は9人だった)と話し、経営優先の非情なトップの素顔を垣間見せている。その後、従業員の給与アップなどの策をとったが、昨年にも、山西省や河南省、広東省の工場で、相次いで大規模なストライキが発生している。この問題はまだまだ尾を引きそうである。

 郭氏の真骨頂は、成功してもハングリー精神を失わないことだろう。'80年代に米国に進出した際は、自らの運転でどぶ板営業に回った。叩き上げを自任し、鴻海を「叩かれても死なないゴキブリ」と言って憚らない。ハングリー精神を忘れた企業は生き残っていけない、という強い危機感を持っている。

 半面、相当な自信家でもある。語録の中で有名なのは「(台湾の高山である)阿里山の神木が大きくなるのは、4000年前にその種が土に落ちた時にすでに決まっていた」という言葉だ。鴻海は、町工場として創業した時から、神木(トップ企業)になる運命だったと断言するのだから、並の自信ではない。

 一方、私生活では派手好きな面もある。'05年に長年連れ添った林淑如夫人をがんで亡くした後、台湾や香港の芸能人と浮き名を流した。 '08 年には、人気アーティストの振り付けをしていた24歳下の曽馨瑩さんと再婚し、二人の子宝にも恵まれた。夫人の母方の祖母は日本人だ。夫人は「スズメが鳳凰になった」と揶揄されたが、郭氏は再婚を機に、個人資産の9割を慈善事業に充てると宣言した。'11年の東日本大震災では、2億台湾ドル(約5億8000万円)の義援金を日本に贈っている。

 コストカットに固執しつつ大金をバラまく。日本人経営者にはないしたたかさこそが、今なお成長を続ける昇龍企業の強みなのかもしれない。

施振栄 宏碁(エイサー)
「自社ブランドで開花」世界第4位のPCメーカー
売上高▶約1兆3784億円
本社    台湾台北市
設立    1976年
従業員    約8000人

 今では日本の家電量販店にも常設コーナーが設けられるようになった、台湾発のパソコンブランド「acer」。パソコンの出荷台数の世界シェア('11年)は4位(10・6%)で、売上高はこの8年間で約3倍に拡大した。受託生産中心の同国では異色だ。

 創業者の施振栄氏(68)が、早くから自社ブランド路線の方針を定めていたのは、パソコン産業は「川上」の基幹部品やOS(基本ソフト)の製造・開発と「川下」の製品販売やアフターサービスでは付加価値が高いが、「川中」にあたる受託生産は低いと考えたからだ。

「いつまでも受託生産に頼っていては、大きな発展は望めない」

 '80年代後半、施氏は、当時、全盛だった受託生産の将来性を疑い、経営方針を大きく転換させたのだ。また施氏はその後、さらなる新発想と実行力で日本のパソコンメーカー各社に一泡吹かせた。日本では'08年に発売し、「acer」ブランドを一気に知らしめた低価格パソコン「アスパイア・ワン」の投入だ。

 同パソコンはネットブックと呼ばれ、機能面では通常のパソコンより劣るが、インターネットなどの簡単な使用に限定すれば十分に使える。2台目のパソコンとして5万円代の低価格化を実現させたのだ。ネットブックには特別な技術が必要なわけではなく、日本のメーカーも生産・販売しようとすれば、いつでもできた。しかし、売れるかどうか分からないという「リスク」がとれなかったのだ。

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