脱教育テレビ化を果たしたテレ朝がつくる、感動も教訓もない大家族ドキュメント『痛快! ビッグダディ』の快進撃

 2012年の年間視聴率3冠王争いは日本テレビが全日帯(午前6時~深夜0時)とゴールデン帯(午後7時~同10時)の2冠を制したが、残る1冠のプライム帯(午後7時~同11時)はテレビ朝日が得た。テレ朝が3冠王争いの一角に食い込むのは初めてだ。

 1980年代前半までは日テレとTBSが雌雄を争い、ここ30年間はフジと日テレのマッチレースが続いていた。そこにテレ朝が加わり、テレビ界は3強の時代に入ったようだ。

教育テレビの尻尾がようやく切れた

 テレ朝が3強入りした理由はいくつも挙げられるが、一言でいってしまうと、ようやく教育テレビの尻尾が切れたということだろう。1959年の開局時、テレ朝は民放版の教育テレビで、当時は社名も「日本教育テレビ(略称・NET)」だった。

 教育テレビ化は当時の首脳陣が望んだ訳ではなく、郵政省(現・総務省)が関東4番目の民放として免許を与える際の条件。看板ばかりでなく、郵政省は全番組のうち50%以上を教育番組にするよう指示した。ほかに教養番組も30%以上。これで他局との視聴率争いなど土台無理だった。

 1973年には念願の総合局免許が交付されたが、最先発の日テレから遅れること20年。このハンディはあまりにも大きかった。その後も教育系出版社の旺文社と良識が売り物の朝日新聞社が大株主だったことが視聴率争いの枷となる。テレ朝の元幹部は「朝日新聞から来るトップは『視聴率争いより、まずは良い番組づくり』とばかり言っていた」と苦渋の表情で振り返る。

 テレビを熟知する早河洋社長(69)がプロパーとして初のトップに就いたのは、開局から50年も過ぎた2009年。やっと他局と対等に戦える環境が整ったのは3年半前のことだった。

 現在でも文部科学省が管轄する「(財)民間放送教育協会」の事務局がテレ朝内に置かれているのは、教育テレビ局だったころの名残。財団には全国34局が加盟し、放送を通じて教育の機会均等を図ることなどを目的としている。だが、番組編成には直接的影響をおよぼさず、視聴率争いのマイナスにはならない。

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