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「保守本流の二世議員」による日中韓新政権が発足! アジアの新時代を担う指導者が持つ「4つの共通点」とは
韓国の新大統領に当選した朴槿恵氏 〔PHOTO〕gettyimages

 11月15日、中国で習近平総書記が誕生した。12月16日、日本で安倍晋三氏が、次期首相に内定した。そして12月19日、韓国で朴槿恵氏が次期大統領に確定した。こうして年末に、2013年以降を担う日中韓の新たな指導者が出揃った。

 3人は、「4つの共通点」を持っている。それは第一に、「1950年代前半生まれ」の同世代ということ。そして第二に、3人とも「二世議員」だということである。

 安倍次期首相は、1954年9月21日生まれの58歳で、祖父は岸信介元首相、父は安倍晋太郎元外相である。習近平総書記は、1953年6月1日生まれの59歳で、父は習仲勲元副首相である。一方、朴槿恵次期大統領は、1952年2月2日の60歳で、父は朴正煕元大統領である。

 安倍次期首相は、各種インタビューでも語っているように、物心ついた時には祖父が首相で、政治の空気を感じながら育った。習総書記も、幼少時代に父親は日本で言う官房長官や副首相を歴任し、政治の空気を十分感じながら育った。一方、朴次期大統領は、9歳の時に父親が軍事クーデターを起こして大統領となり、それが27歳まで続いたので、こちらも政治の空気をはち切れんばかりに吸い込みながら育った。

「独裁者の娘」として過ごした「日陰の半生」

 この3人の指導者の「第3の共通点」。それは、それぞれ決定的な挫折を経験していることだ。

 安倍次期首相は、父親が首相まであと一歩に迫りながら、身体を癌に蝕まれ、志半ばで逝ってしまった。安倍氏36歳の時のことだ。その後、政治家になった安倍氏は順風満帆に出世街道を駆け上がり、2006年9月、戦後最年少の52歳で首相の座に上り詰めた。だが丸1年後の2007年9月、持病の潰瘍性大腸炎が悪化し、政権を放り投げてしまった。この時の無責任な印象が拭えなかったことや、その後の野党生活を余儀なくされたことなどから、艱難辛苦の5年間となった。

 習総書記は、9歳の時に、副首相だった父親が突然、毛沢東主席の怒りを買って失脚し、その後、炭鉱送りとなった。まさに天国から地獄だ。そして自分も15歳の時に、文化大革命の波にのまれて、陝西省の農村に下放された。農村では穴倉生活をさせられるという惨めさで、北京に戻ったのは7年後の22歳の時だった。そして第二の挫折は、32歳の時に福建省勤務となって以降、17年間、すなわち49歳になるまで、福建省から出られなかったことだ。

 朴次期大統領は、9歳の時に父親が大統領になり、以後は「独裁者の娘」として、何不自由なく育った。だが22歳になった1974年、母親の陸英修が、暴漢が放った銃弾に暗殺されるという悲劇に見舞われた。いわゆる文世光事件である。

 私は以前、朴氏にインタビューした際、この時の話も聞いたが、彼女はこの時、パリに留学中だったという。夜に突然、パリの韓国大使館の幹部が寄宿舎に現れ、とにかく一番早い便でソウルへ戻ってほしいと言われ、そのままパリの空港へ向かった。それでソウルへ向かう機内の新聞を見て、母親が殺されたことを知り、涙にくれながらソウルへ降り立ったという。

 朴氏はその後、母親に代わってファーストレディを務めたが、5年後の1979年、今度は大統領の父親が、側近の金載圭KCIA部長にピストルで暗殺されるという悲劇に見舞われた。この時は、父親の部下たちが江南の自宅へ来て警備に当たり、「家から一歩も出ないでください」と言われたという。そして、父親は18年間も大統領を務めたのに、鄙びた家一軒しか家族に遺さなかったそうである。

 そこから彼女の長い「日陰の半生」が始まった。「独裁者の娘」と、まるで犯罪者の如く後ろ指を指されながら暮らす日々で、福祉法人の責任者として過ごす。本人曰く、畏れ多くて結婚してくれる相手もいなかったという。その後、46歳の時、1998年の補欠選挙に立候補して当選した。だがハンナラ党の権力闘争に敗れ、2002年には無所属の議員となった。復党後、前回2007年の大統領選挙では、ハンナラ党の予備選で李明博大統領に敗れ、再び「日陰の人」となった。

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