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震災遺族として―黄川田徹(復興副大臣)「誓いの選挙戦」に密着
粉雪が舞う中、住人が少ない山間部でも丹念に回り、名前を連呼する選挙戦を展開した(12月10日)〔PHOTO〕結束武郎

 黄川田徹復興副大臣(59、岩手3区)が、スーツの内ポケットを指差して「これを見て」と言った。そこに縫いつけられていたのは、「W. Mitsui」との刺繡。スーツは、国会で席が隣の三井辨雄厚生労働相(70)の〝お古〟だった。

「震災直後、家も何もかも流され、着るものもありませんでした。『(洋服の)青山に行ってスーツを買わなきゃ』と話をしたら、『こんなんでよければ』と三井さんが夏物・冬物あわせて10着ほどくれたんです。だから、ほら・・・・・・」

 微笑みながら黄川田氏が視線を落とした先に、折り返して丈を詰めたズボンの裾が見えた。12月10日、黄川田氏が岩手県陸前高田市の事務所で、本誌に選挙戦にかける思いを語った。

 昨年3月11日の大津波は、黄川田氏から義理の両親、妻の敬子さん(享年51)、そして長男の駿一さん(享年29)を奪った。公設第二秘書の菊池章太さんも、黄川田氏の家族とともに波にさらわれた。自宅が被災した黄川田氏は、震災から1年9ヵ月が経った今も、仮設住宅で暮らす。黄川田氏は亡き家族について、多くを語ろうとはしない。

「家族に対する想いを聞かれても困るんだよ。これは現実だ。本当に大変な目に遭った人は、何も言わない。『亡き家族のために頑張ります』なんて言わない。まして私は、家族のために政治家をやってきたわけでもない。被災地ではみんな、家族や親戚を失った。辛い目に遭ったのは私だけじゃない。だから、軽はずみに感想なんて言わない。言えないんだ」

 そんな黄川田氏を支えるのが、末娘で大学4年生ののぞみさんだ。震災当日、高台にある自動車教習所にいたため、被害に遭わずに済んだ。

「これまでは事務所でお茶を出すくらいでしたが、今回の選挙から、娘が積極的に手伝うようになりました。口には出さないけれど、〝自分が母ちゃんの代わり〟という自覚が出てきたんだと思います」

 本誌は黄川田氏の選挙戦に密着したが、粉雪が舞う中、選挙運動は街宣車による遊説と公民館などでのミニ集会が中心だった。演説する黄川田氏の姿に「奥さんと子供さんを亡くされて頑張ってる」と涙ぐむ高齢者が多数見られた。各メディアの事前調査(12月12日時点)では、その境遇に共感する票も多く、黄川田氏が断トツで有利と予想されている。

震災に触れもしなかった小沢

12月11日、月命日のこの日、黄川田氏らは黙禱を捧げた。ここ大槌町の死者・行方不明者は1700人を超える

 陸前高田市の職員だった黄川田氏は、小沢一郎氏(70)が'94年に新進党を立ち上げた時から行動をともにし、政界に身を投じた。義理の祖父が、小沢氏の父・佐重喜氏(元建設相)の後援者でもあり、その縁は深い。しかし、今年7月に〝政治の師〟小沢氏が民主党を離党した時、黄川田氏は行動をともにしなかった。岩手県という被災地選出の議員でありながら、復興を目指す地元そっちのけで政争に明け暮れる小沢氏を見限ったからだ。黄川田氏は腕を組んで思案した後、語り始めた。

「小沢先生は震災の後、〝菅(直人首相=当時)降ろし〟に走りました。当時、(東京・世田谷の)深沢の小沢邸で会合が頻繁に行われ、私も(親小沢グループである)一新会の一人として参加しました。何十人ものメンバーが班ごとに分けられ、連日連夜の倒閣謀議です。そこで小沢先生と対面したのですが、私に『お前も大変だったな』の一言もありませんでした。いえ、私のことはいい。とにかく一切、震災の話をしなかったんです。あの混乱冷めやらぬ時期に、震災にまるで触れないなんて・・・・・・。横にいた中塚(一宏金融担当相)に、『おい、この机、ひっくり返していいか』と言ったら、『徹ちゃん、やめとけ』と諫められました」

「前回まではお茶を出す程度だった」という娘ののぞみさん(右から2人目)も積極的に選挙を手伝うように

 無論、黄川田氏は小沢氏に直言もした。小沢氏はようやく今年4月1日、黄川田氏が暮らす陸前高田市の仮設住宅に焼香に訪れたが、それは、黄川田氏が「被災者の象徴として私の家に線香をあげに来てほしい」とかけ合ったからだ。野田佳彦首相(55)が消費増税を閣議決定すると、小沢氏は黄川田氏に総務副大臣のポストを辞することを要求した。決定に反対の意志を示すためだ。黄川田氏がそれを呑んだのは、小沢氏に「被災地と正面から向き合ってほしい」と願ったからだ。

 小沢氏の妻・和子さん(68)と黄川田家の交流も半世紀以上にわたる。特に亡き妻・敬子さんは小学校の頃から和子さんと交流があり、周囲から「仲のいい姉妹みたい」と言われたそうだ。

「初めて国政選挙に出た時、名前が難しいのでポスターには『きかわだ徹』と書くようアドバイスをくれたのも、和子さんでした。震災の翌日、議員会館の事務所に『黄川田君のところはどうなっている?』と電話をくれました。私の家族の遺体がすべて見つかった時、和子さんから香典と便箋2枚の手紙が届きました。政局や権力闘争に巻き込まれず、被災地、被災者のために働いて。復旧、復興に頑張って―。そういう内容でした」

仮設住宅に帰る黄川田氏。食事の世話は、震災で亡くなった妻・敬子さんの妹がするという

 小沢氏が黄川田氏に向けて放った対立候補の佐藤奈保美氏(46)は、引退した菅原喜重郎元代議士の娘で、前回まで黄川田氏の支援者の一人だった。

「比例区は喜重郎先生、小選挙区は私でやってきましたが、先生の引退後は喜重郎先生を応援していた人が私を応援してくれました。その関係があるのに、今度は喜重郎先生の娘を出馬させて〝股裂き状態〟にした。これが小沢先生のやり方なんです。 '09 年の総選挙は民主党が大勝しましたが、あの時、小沢さんは自民党議員の秘書らを引き抜いて、自民党の対抗馬として当てていった。無関係の新人を立てるのではなく、これまでの人間関係の中から対立軸をつくるんです。岩手1区では達増拓也知事の奥様(陽子氏)を擁立して、私と同じく民主党にとどまった階猛さんに当ててきた。私は佐藤さんではなく、小沢先生と戦っているんです」

 選挙直前、黄川田氏のポスター25枚に刃物でバツ印が切り刻まれる事件が起きた。今も犯人は分かっていない。

「最初から、被災地の復旧、復興に与党も野党もないと言っている。自民の中にも立派な人はいて、民主の中に駄目なのもいる。この選挙は権力闘争とは違う。そう思って、小沢先生との歴史を閉じた」

 12月11日午後2時46分、震災から1年9ヵ月の月命日に、大槌町で演説を終えた黄川田氏は、1分間の黙禱を捧げた。

「お墓にいい報告はしたいなぁ。でもそのためには(選挙に)勝たないと」

 こぼれかけた笑みは、瞬く間に引いた。

「フライデー」2012年12月28日号より

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